この電車「寝台特急」だったんだぜ…? 凄まじい魔改造の痕跡 ローカル電車への“無理やり転用”なぜ行われたのか

だって車両高いんだもん「交流」だから

 列車本数の増加による車両の確保は、使用していた電車の短編成化でまかなっていましたが、先頭車両はどうしても不足してしまうため、中間車を先頭車に改造する「先頭車改造」を行って充足していました。

 しかし、それは元々使っていた電車の数が多かったエリアだからできたこと。九州(長崎・佐世保エリア)や北陸(金沢・富山エリア)、東北地方(仙台エリア)の交流電化区間では、急行列車の廃止で余っていた急行型電車を近郊輸送に転用しても、絶対的な電車の両数が少なかったのです。しかし困窮していた国鉄に、交流区間を走れる高価な車両を新製することは困難でした。

 そこで国鉄は妙案を考えだします。それは特急形電車を近郊形電車に改造して充てることでした。その「種車」は、寝台特急列車用の特急形電車で、「月光形」として親しまれていた581系/583系でした。これらは、新幹線網の発展で夜行列車の廃止が進み、大量に余っていたのです。

 もともとが特急用電車のため、乗り心地のよいDT32系空気バネ台車や冷房を備えており、当時の近郊形電車としては十分なサービスを提供することも期待されました。

車内は凄まじい魔改造の痕跡

 しかし財政難で改造費はかけられません。ドアは特急形電車時代の幅700mmの折戸をそのまま使用。片側1か所のみでは朝晩に混み合う近郊輸送に不適なことから、同じ折戸をもう1か所増設しました。こうして誕生した419系・715系のドア幅は、近郊輸送用電車のドアは1m幅もしくは1.3m幅というなかで、近郊型電車としては異例の狭さでした。

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419系はドアが増設され片側2つに。一部の窓は開閉可能に改造されている(遠藤イヅル撮影)。

 車内は、特急形時代の座席・寝台兼用ボックスシートを残しつつ、寝台への転換機能を固定。ドア付近は立ち席を増やすためにロングシート化しました。寝台列車用のため1車両ごとに2か所設けていたトイレも、1編成1か所のみにして残りを撤去。トイレ向かいの洗面台跡については、座席を設けず「フタ」をするのみという大胆な改造を施しました。

 特急形時代は開かなかった窓は、一部を開閉可能に改造するも、種車のままの窓については、二重窓の中をブラインドが上下する「ベネシャンブラインド」が存置されていました。筆者の記憶では、二重窓の中に人工芝が敷かれ、飾りが置いてあった車両もいたように思います。なおベネシャンブラインドはのちに撤去され、横引きカーテンに置き換えられました。

【特急の“成れの果て”】国鉄空前の「魔改造電車」たち(写真で見る)

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