米軍「あれにはやられた」 大戦末期の旧日本海軍がとった「奇跡の作戦」とは “強運艦オールスターズ”集結
強運艦は終戦を迎えられたのか
しかしこの「奇跡の作戦」の具体的成果といえば航空機用ガソリン1916t、ゴム3690t、錫2690t、タングステン308tなど6隻で合計8700tあまりの物資を運搬できたことであり、これは中型貨物船1隻分相当でしかありませんでした。
石油輸入量の経緯を見ると、1945年第1四半期に日本へ到着した石油の総量は前年後半の量を上回って、一時的に輸入量増加に転じています。これは完部隊のような戦闘艦による輸送の効果があったといえますが、絶対量は圧倒的に不足し、戦争経済に与えた影響は微々たるものでした。ただし完部隊によって油田開発技術員ら1150名が帰国できたことは特筆されます。
これら物資は4月に戦艦「大和」も参加した沖縄方面への航空作戦「天一号作戦」にも使われます。しかし再び奇跡が起こることはありませんでした。
「日向」と「伊勢」は燃料不足でもう動くことはできず、呉で対空浮砲台となります。1945年7月24日から28日にかけアメリカ海軍が呉を攻撃すると、格好の標的となった両艦は大破着底。「大淀」も大破転覆しました。
3隻の駆逐艦はというと、「朝霜」と「霞」は4月6日、天一号作戦で「大和」と運命を共にし、「初霜」は終戦2週間前の7月30日に舞鶴近郊で機雷に接触して沈没しています。いずれも戦争を生き延びることはかなわず、「完部隊」の「完」の意味を噛みしめたくなります。
【了】
Writer: 月刊PANZER編集部
1975(昭和50)年に創刊した、40年以上の実績を誇る老舗軍事雑誌(http://www.argo-ec.com/)。戦車雑誌として各種戦闘車両の写真・情報ストックを所有し様々な報道機関への提供も行っている。また陸にこだわらず陸海空のあらゆるミリタリー系の資料提供、監修も行っており、玩具やTVアニメ、ゲームなど幅広い分野で実績あり。
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