「トップガン」クルーもこれで学んだ? 戦わない空母搭載機 愛称「ヒトデ」はダジャレ的!?
航空自衛隊も使用していた傑作ジェット練習機T-33Aは、アメリカ海軍でも使用されていました。しかも海軍には、空母の発着艦訓練に使えるよう、相応の改造まで施した派生型もありました。
「シスター」じゃないよ「シースター」
アメリカ海軍は、かつて「ヒトデ(SeaStar)」という愛称のジェット機を運用していました。しかしこの愛称、実はヒトデそのものにちなむ命名ではありません。空軍向けに造られた航空機を海軍機に「変身」させた際、元の愛称を「海」に由来するようにしたことで、このようになってしまったのです。
しかも、その原型機は日本にとっても極めてなじみ深いものになります。いったい、この「空飛ぶヒトデ」なる航空機は、どんな機体だったのでしょうか。
第2次世界大戦後期、日本を含む主要な参戦国は、より高性能な軍用機を求めて、将来性が見込まれていたジェット機の設計と開発に勤しんでいました。そして、ドイツとイギリスは大戦中に実用的なジェット戦闘機の開発に成功、前者はメッサーシュミットMe262、後者はグロスター「ミーティア」を相次いで戦力化しています。
航空機大国のアメリカも、もちろんその流れに乗ってジェット機の開発を進めましたが、ドイツとイギリスに遅れをとってしまい、同国初の実用ジェット戦闘機となったロッキードP-80(のちにF-80へ変更)「シューティングスター(流星)」は、実戦投入できずに大戦終結を迎えたのです。しかし、戦後になるとジェット機の操縦訓練は同じジェット機でなければ行えないという観点から、複座のジェット練習機が軍から求められるようになりました。
このアメリカ初のジェット練習機の開発に際して、ジェット戦闘機としては旧式化していたものの、運用実績の積み重ねにより信頼性が高かったP-80がベースに選ばれます。こうして生まれたのがTP-80C、のちのT-33Aでした。P-80と同じ「シューティングスター」の愛称で呼ばれた同機は、1948年3月22日に初飛行に成功すると6000機以上が生産され、「Tバード」の愛称でも親しまれる傑作機へと昇華しています。
ちなみに、航空自衛隊も1954年の発足直後にT-33Aをアメリカから供与されると、「若鷹」といういかにも練習機らしい愛称を付けて、2000年まで、実に46年間も運用しています。また、その間には川崎重工でライセンス生産も行っており、戦後日本の航空産業の基礎を造ったジェット機でもありました。
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