「これが、同じ街なのか…?」ついに渋谷駅直結を果たした“国道の向こう側” 地形すら変えた大開発4年間を定点比較

60年間“大人しめな街”として

「渋谷駅桜丘口地区第一種市街地再開発事業」として指定されたのは、桜並木が立派な「さくら坂」と山手線に挟まれた約2.6ヘクタールです。数字ではピンときませんが、中小のビルやアパートが建ち並んでいた街が5ブロックほど、100m×200m四方がまとめて再開発されました。敷地は長方形ではなく、台地と低地の境界の地形のため起伏が多く、中小の企業、商店、住居が、坂の多い狭い道路に軒を連ねていました。

 このエリアは一歩奥へと入れば上り坂が分岐して、坂の多い渋谷ならではの地形が現れ、戦前から残されてきたアパートもひっそりと佇んでいました。初見では方向感覚が失われやすく、線路沿いに出なければ迷ってしまうほどでした。

 桜丘町は戦前から戦後にかけ、大和田町の名称でした。その時代は低層家屋の商店や住宅が軒を連ね、ポツンポツンとモダンなビルが建ち、渋谷駅方向まで街が形成されていました。

 しかし1964(昭和39)年の東京オリンピックに合わせ、幅約50mの国道246号を駅南側へ整備したことによって、駅と街が分断されてしまいます。駅と街が国道によって隔絶したことで、個人商店や住宅が集まる姿を残したまま、低層家屋は小さなビルへと建て替わり、住居兼商店のビルも多く誕生しました。そして“若者でにぎやかな渋谷”のなかでも比較的静かで落ち着いた、ちょっと大人しめな街が形成されていったのです。

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「渋谷サクラステージ」内となった再開発地域。左は釣具店やドラッグストア。楽器店やライブハウスもあった(2018年12月、吉永陽一撮影)。

 それから60年。駅と分断されていた桜丘町は、再開発によって再び駅と直結することになりました。JR新南口改札口が移転してからは、明らかに人の流入が増えています。渋谷サクラステージは2024年7月25日に37のテナントがオープンとなり、様々なショップが開店しました。

 約120人もいたという地権者の合意は時間がかかったようですが、2019年1月の撮影ではほぼ全ての建物から人が消えていました。漆黒の闇のなか、窓の明かりもなく、入口が閉鎖された街は冷え切っていました。解体風景は長年見つめてきた身にとって辛い場面でしたが、新たな街となるのは渋谷の宿命なのです。

【了】

【写真】戦前の建物も残っていた「桜丘地区」の定点観察

テーマ特集「【特集】生まれ変わる街 駅前にタワマン…全国「駅前再開発」事情」へ

Writer: 吉永陽一(写真作家)

1977年、東京都生まれ。大阪芸術大学写真学科卒業後、建築模型製作会社スタッフを経て空撮会社へ。フリーランスとして空撮のキャリアを積む。10数年前から長年の憧れであった鉄道空撮に取り組み、2011年の初個展「空鉄(そらてつ)」を皮切りに、個展や書籍などで数々の空撮鉄道写真を発表。「空鉄」で注目を集め、鉄道空撮はライフワークとしている。空撮はもとより旅や鉄道などの紀行取材も行い、陸空で活躍。

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