国内最大手「真っ赤なヒゲ親父」のオートバイ販売店 米投資ファンド買収で今後の経営は大丈夫か?
サービス充実との声の一方で、店舗ごとの当たりハズレも
その後、屋号を「レッドバロン」に改めた同社は、1975年に貿易部を設立して輸入車の販売を開始。1980年には、名古屋陸運局から日本初となる二輪車専用検査工場の指定を受けるなど、バイク販売におけるスケールメリットを実現するために着々と歩みを進めていきました。
1980年代のバイクブームを追い風に成長を続けたレッドバロンでしたが、杉浦さんの達見によりバブル景気の頃はあえて過剰な投資を行わず、バブル崩壊により地価が下落した1990年代から出店ペースを上げていきます。創業当初はフランチャイズ方式を導入したこともありましたが、加盟店が自店の利益のためにロードサービス業務を怠るなどの問題が生じたことから、その後は直営店の比率を増やし、現在では全店直営になっています。
そして、店舗数が200を超えた2004年、店名に合わせて社名を「株式会社レッドバロン」へと改めました。
「顧客第一主義」を掲げるレッドバロンでは、余った場合は買い戻しができる「オイルリザーブシステム」、走行距離無制限のロードサービス(あいおいニッセイ同和損保への加入が条件)、充実した盗難保険、絶版車にも対応した膨大なパーツのストック、同社が運営する休憩施設や宿泊施設の利用など、ユーザーに対する様々なサービスを提供しています。
これらは、言うなれば「顧客の囲い込み戦略」であり、販売したバイクが数年後に下取りで戻ってくることを期待した上質な中古車確保の手段にもなりました。なお、これらは買取価格の下落リスクがある値引き販売や残価率を高めに設定した残価設定ローンとは異なり、ユーザーにデメリットがほとんど生じません。
ただ、こうした充実したサービスを評価する声がある一方で、店長の裁量権が大きいこともあるのか「店舗ごとに顧客対応やサービスにばらつきがある」「店長が変わったら店の雰囲気がガラリと変わった」などの評価もよく聞かれます。
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