お金かかりすぎ「開発中止を」 それでも完成させた国産エアバッグ 誤作動しない確率99.9999%以上!?

今や自動車の標準装備となっている「エアバッグ」。日本で初めての国産エアバッグはホンダが開発したものでした。しかし、ここに至るにはじつに16年もの歳月と、技術者たちのアツい思いのこもった物語があったのです。

1台につき家一軒分相当の額の実験車両を何台も潰す日々

 クルマのエアバッグは、もともと航空機パイロットを守る技術として1963(昭和38)年に発明され、1970年代前半にはキャデラックやビュイック、また1980年代前半にベンツなどの高級車に搭載されるようになりましたが、1980年代中盤までは世界的に見てもエアバッグに対する関心はそう高いとは言えないものでした。

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日本で初めてエアバッグを搭載した市販車、ホンダ・レジェンド。当初は運転席のみの安全装備だった(画像:ホンダ)

 そうしたなか、この画期的な安全性能に注目したホンダは、自動車安全部品メーカーの高田工場(後のタカタ)と共同で、ホンダは1970年代前半よりゼロスタートでエアバッグ開発に着手。「安全システムの誤作動は絶対に許されない」とし、結果的に16年もの歳月をかけて実験を繰り返し1987(昭和62)年に国産車初のエアバッグを開発。これが、今日では定番のエアバッグシステムの先駆けとなりました。

 研究開発を始めてからの最初の10年間は劇的な成果を上げることができなかったといいます。この間、1台につき家一軒分に相当する額の実験車両を何台も何台も衝突させては潰す研究を重ねました。膨大な費用と時間をかけたにも関わらず、劇的な成果を上げられないまま、十数人いた研究チームは、一人、また一人と姿を消し、最終的にはわずか4人に減ってしまったのです。

 やがて、「国内外の他社もエアバッグ研究開発から撤退したらしい」という噂が流れ、ホンダ社内でも「その研究まだやってんの?」といった冷ややかな声が囁かれるようにもなったといわれます。そして、残された4人の研究者たちの元に、ついに「研究を中止せよ」の命令が。

 ここまで身を削って研究開発に勤しんできた4人の研究者たちは、当然「はい」とは言えません。これだけ膨大な費用をかけていることだけでなく、各研究者たちにとっても人生の何分の1かの時間を費やし真剣に取り組んできたからです。

 4人の研究者たちは上司と押し問答。その末に「必ず完成させてみせる」と研究続行の許可を獲得しました。

 このとき、実は上司はもとからエアバッグ開発を「中止させる」意向はありませんでした。あくまでも、4人の研究者たちのエアバッグ実現にかける情熱を推し測るために「中止せよ」と伝えたのでした。その熱い思いに気づいた4人の研究者たちは、さらに奮起し、実験・研究を重ねていきます。

【写真】興味深い「エアバッグが全て開いた姿」ほか

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