終戦80年 原爆投下した「B-29」展示に垣間見た“根強い米世論”とは? 近々変更の計画も

アメリカ軍の爆撃機「エノラ・ゲイ」が広島市に原子爆弾を投下してから、間もなく80年を迎えます。同機は2025年現在、ワシントンDC近郊の博物館で保存・展示されていますが、そこに至るまでには紆余曲折がありました。

簡潔な説明文の裏に隠された複雑な背景

 別館の中央部分に常設展示され、ホームページで紹介された9つの主要展示機にも入っているのがB-29大型爆撃機の44-86292号機「エノラ・ゲイ」です。ところが、先頭部にガラスを多用した操縦室を設け、主翼に4発のプロペラを備えた銀色の機体の傍らにある説明文は驚くほど簡潔でした。

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スミソニアン航空宇宙博物館別館「スティーブン・F・ウドバーヘイジー・センター」に展示されたアメリカ軍の爆撃機B-29「エノラ・ゲイ」(大塚圭一郎撮影)。

 スペックとして翼幅43m、全長30.2m、全高9m、最高速度546km/hなどの数字が並ぶ脇に、「1945年8月6日、マーティン製のB-29-45-MOは日本の広島に戦闘で最初に使われた原爆を投下した。その3日後、(B-29)ボックスカーは長崎に2発目の原爆を投下した。エノラ・ゲイはその日、先遣気象偵察機として飛行した。3機目のB-29のグレート・アーティストは、両方のミッションで観測機として飛行した」と記されていました。

 筆者は日本人の1人として原爆投下の被害に触れてほしいと率直に思いました。しかし簡潔な説明文は、展示されるまでの複雑な経緯を、ある意味で示すものでした。

 そもそも「エノラ・ゲイ」は、大戦後に現役を退くとメリーランド州アンドルーズ空軍基地で解体・保存されていました。その後、ワシントンDC中心部のスミソニアン航空博物館(現・本館)で、原爆投下50年の節目となる1995年に公開することが決定。このとき奔走したのが、1987年に館長となったマーティン・ハーウィット氏でした。

 アメリカでは、原爆投下が大戦終結に大きく貢献したとの世論が、いまだ根強くあります。民間調査団体のピュー・リサーチ・センターが2015年に実施した世論調査で、広島と長崎への原爆投下についてアメリカ人の56%が「正当だった」と回答。日本人の79%が「正当ではなかった」と答えたのとは対照的な結果となりました。

 そのためか、展示に向けた準備に携わった元学芸員のグレッグ・ハーケン氏は「ハーウィット氏は両国に目を向け、決定を下した人々とその結果に苦しんだ人々の視点から出来事の全てを物語る展示をするつもりだと明言していた」と解説します。

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