終戦80年 原爆投下した「B-29」展示に垣間見た“根強い米世論”とは? 近々変更の計画も
アメリカ軍の爆撃機「エノラ・ゲイ」が広島市に原子爆弾を投下してから、間もなく80年を迎えます。同機は2025年現在、ワシントンDC近郊の博物館で保存・展示されていますが、そこに至るまでには紆余曲折がありました。
裏切られた広島平和記念資料館の「全面支持」
ハーケン氏は1991年夏に広島平和記念資料館を訪れ、当時の館長に展示計画を説明。すると、「自身も被爆者だった当時の館長は全面的に支持してくれ、あらゆる収蔵品を貸し出すと申し出てくれた」と振り返ります。
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その後はハーウィット氏自身も資料館を訪問し、原爆の被害を伝えることに熱意を示しました。心を動かされた資料館側は、真っ黒に焼けこげた弁当箱といった貴重な収蔵品を貸し出すことにしました。
しかし、こうした動きにアメリカ国内から待ったがかかります。ブレーキをかけたのは、退役軍人団体であるアメリカ在郷軍人会と空軍協会(AFA)でした。AFAは展示について「政治的に偏向している」と執拗に攻撃し、展示に次の3点を明記するよう要求しました。
それらは「原爆が戦争を終わらせた」「原爆が100万人のアメリカ人の命を救った」「原爆使用以外の現実的な選択肢はなかった」というもので、スミソニアン側は「もはや交渉の余地がない」とさじを投げてしまうほどでした。
結局、展示は胴体前部だけにとどまり、連邦議会議員らから責任を追及されたハーウィット氏も1995年5月に館長を辞任。こうしたアメリカ国内での動きに、広島平和記念資料館の関係者や日本人被爆者らが大いに失望したのは言うまでもありません。
かくして、前述したように別館に展示されたエノラ・ゲイの説明文は、淡々としたものになったのです。スミソニアン協会の関係者は筆者に「学芸員も、説明するボランティアも、来場者に客観的な事実以外は言及してはならない決まりになっている」と説明しました。
しかし、そのような中で2026年には状況に動きがありそうです。というのも、当初予定より1年遅れの2026年に本館の大規模改修工事が完成して展示内容を刷新する計画ですが、それに伴い原爆投下後の広島と長崎の街の写真を展示しようとしているからです。
これは、展示や言及は客観的な事実だけに留めるという決まりがある中でも、原爆投下が大勢の全く罪のない日本人らの命を奪った悲劇もなんとか浮かび上がらせようと関係者が動いている証といえるのではないでしょうか。
原爆投下後の写真展示が今度こそ実現し、原爆がもたらす惨禍と平和の大切さが伝わることを願わずにはいられません。
Writer: 大塚圭一郎(共同通信社経済部次長・鉄旅オブザイヤー審査員)
1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学フランス語学科卒、共同通信社に入社。ニューヨーク支局特派員、ワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。「乗りもの」ならば国内外のあらゆるものに関心を持つ。VIA鉄道カナダの愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員。
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