明らかに無理です! からの成功なぜ? ドイツ海軍がWW2で展開の“ブッコミすぎ作戦”戦艦「長門」にゆかりの艦も参加
今年は第二次世界大戦の終戦から80周年の節目の年となります。この大戦では、明らかに無謀そうに見えて「なぜこの作戦が成功?」と思うような不思議な戦いもいくつかありました。そのひとつが「ツェルベロス作戦」です。
出航直後に捕捉されるが運が味方する
しかしこの作戦には大きな問題がひとつありました。

ブレスト港からキール港までを最短で結ぶルートは、イギリスとフランスの間にあるイギリス海峡を通過しなければなりません。同海峡内で最も狭いドーバー海峡のフォーランド・パ=ド=カレー間は幅約34kmしかありません。河川ならばともかく、海の場合は目と鼻の先です。そこにイギリス側は、艦艇や航空機だけではなく、沿岸砲まで装備する厳戒態勢を敷いていました。このような状況のなか、ドイツの艦艇は自国に帰らなければならない事態に陥ったのです。
当然、ドイツ海軍の将校たちは「ツェルベルス作戦」の中止を求めました。同海峡の制海権は既にイギリスにあり海域の中央突破など成功するはずもなく、成功したとしても大損害は免れないと予想できたからです。
しかし、ノルウェーの支配維持のために海軍力が欲しいヒトラーは、どうしても首を縦に振りませんでした。こうして、ドイツ海軍は、困難な海峡突破に挑むことになったのです。
1942年2月11日夜、巡洋戦艦「シャルンホルスト」「グナイゼナウ」、重巡洋艦「プリンツ・オイゲン」と6隻の駆逐艦は、ブレストの港を出港しました。前述のようにドイツ海軍高官はこの作戦に最初反対でしたが、ブレスト港もすでにイギリス空軍の爆撃圏内に入っており、連日爆撃にさらされていたため、最終的には“イチかバチか”でこの作戦を実行することになります。
そのようななか、同作戦の唯一の望みはドイツ空軍の支援でした、当時のドイツはまだソ連侵攻を始めておらず、海峡突破のために有力な空軍力を割くことができました。
とはいえこれだけ大規模な艦隊を隠密的に航行させることは困難で、ブレスト港を出た直後にイギリスの偵察機に捕捉されます。しかし、ここでドイツ軍に幸運が味方します。
偵察機のレーダーが故障(無線を傍受される危険回避のために帰還語報告したという話もあり)しており、無線での連絡をできなかったのです。偵察機が帰還する間に、ドイツ艦隊は貴重な時間を稼ぐことができ先に進むことができました。
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