グアムに行ったら旧海軍の潜水艦がありました 艦首が変な形をしていますが、どんな使い方だったのでしょうか?
日本ではリゾート地として有名なグアム。そこの太平洋戦争記念館ビジターセンターには、旧日本海軍の潜水艦「甲標的」が保存・展示されています。ただ、グアム島の攻防で潜水艦は使われたのでしょうか。調べてみました。
グアムに残された80年前のミニ潜水艦
日本ではリゾート地として有名なグアム。そこには、観光地にしてはやや不釣り合いな旧日本海軍の潜水艦が展示されています。それは、グアム島中西部にある太平洋戦争記念館ビジターセンターで展示されている「甲標的(こうひょうてき)」です。

「甲標的」は特殊潜航艇と呼ばれる小型の潜水艇で、その大きさは全長約23m、全高約3m。わずか2名の乗員で運用できました(展示されている潜水艇は改良型の丙型で乗員数は3名)。
船体の前部には2門の魚雷発射管が装備されており、その先端部は大砲のように艦首から突き出ています。ただし、船内には最装填する機構や予備魚雷などもないため、ここに搭載された魚雷2本が、この潜水艇の全攻撃力になります。
船体の中央付近にある司令塔の下には乗員が乗る操縦室があり、その前後には224個のバッテリーが収納されています。2名の乗員に割り振られた内部のスペースは最小限で、展示場所にあった解説パネルには「快適性を無視した設計」と記されていました。
この「甲標的」は旧日本軍の有名兵器である零式戦闘機や戦艦「大和」と比べるとやや地味な印象がありますが、太平洋戦争中にはさまざまな戦場に投入されており、日米開戦のきっかけとなった1941(昭和16)年12月のハワイ真珠湾攻撃にも参加しています。
このときの戦闘は空母から発艦した艦載機による空襲が有名ですが、「甲標的」は5隻が出撃しています。しかし、この潜水艇にとっての初陣にもなった真珠湾攻撃では、確認された戦果を挙げることはできず、5隻すべてが未帰還となりました。
また、この内の1隻は空襲前にアメリカ海軍の駆逐艦と交戦して撃沈されており、太平洋戦争で最初の犠牲にもなっています。また、別の1隻は真珠湾で座礁し、乗員の1人は海岸に漂着後、アメリカ軍に捕らえられ、こちらも同戦争での最初の日本軍捕虜となりました。
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