「まとめて運べば安くなる」を徹底追及する海外/「汗と涙の人海戦術」で人手不足の日本 物流の“深刻な差”どうして?【物流と鉄道“失われた30年”前編】
この30年で国際物流は急激に伸長した一方で、日本国内の物流は人手不足が深刻、でも貨物量は微減、JR貨物の輸送量は半減と、海外にかなりの差を付けられてしまいました。一体なぜでしょうか。3回の連載から紐解きます。
「まとめて運べば安くなる」を追求した結果 物流は「装置産業」へ
コンテナ化の流れはいち早く日本も取り入れました。発明から数年と置かず、当時の国鉄も独自規格ながら鉄道コンテナを開発し1959年に使い始めました。そして日本初のコンテナ船「箱根丸」は1968年に就航しています。

いち早く日本はコンテナ化に対応したのに、なぜ“コンテナ革命”が失われた30年を招いたのでしょうか。実はその後があります。
コンテナ輸送は“規模の経済”が効きます。大きな港に貨物をまとめ、取扱量が増えるほどコンテナ1個あたりのコストは下がるのです。また、コンテナ船の大型化も進みました。現在、世界最大のコンテナ船は“2万4000TEU”クラス、すなわち20フィートコンテナを約2万4000個積むことができ、これが世界を毎日行き交っています。
そのため、世界では港湾の集約化が進み、基幹航路は貨物量が多い国際ハブ港だけに立ち寄り、他の港は支線(フィーダー航路)で結ぶ「ハブ&スポーク化」が1990年代に進みました。さらに製造業は、この物の流れを前提に工場の場所を選ぶようになりました。
また、このハブ港に国内各地から効率的に貨物を集めるためにインターモーダル(複数の輸送手段による積み替えなしのドアツードア輸送)化が進み、港と鉄道や艀(はしけ)による内陸水運が結ばれました。「まとめて運べば安くなる」はここにも効きました。
これを実現するには港を大きくして、鉄道への積み込み施設(オンドックレール)を作り、貨物ターミナル駅も整備し――と多額の投資が必要です。コンテナ革命とともに陸の物流も装置産業となっていきました。
トレーラーで運ばれたコンテナは、倉庫のドックに接続されると運転手の仕事はそこまで。トレーラヘッドを外す“台切り”をして次にいきます。あとは着荷主が荷役するのです。しかし、日本はこうなりませんでした。
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