世界大戦で運命が狂った駆逐艦「江風」ご存じか 旧海軍で一度も使われず地中海で沈没 なぜ?
旧日本海軍がイギリスに発注した駆逐艦の中に「江風」という船がありました。同艦は第1次と第2次、両方の世界大戦で運命が大きく変わり、最後まで日本に来ることなく終わったとか。一体どのような艦歴を辿ったのでしょうか。
イタリア艦として第2次大戦に従軍、ドイツ艦として沈没
進水前の1916年7月5日、イタリア海軍は「江風」を「イントレピード」と命名。さらに1916年9月25日に「アウダーチェ」と改名されました。なお、アウダーチェとはイタリア語で「勇敢な」または「勇敢な人」を意味します。

こうして「江風」改め「アウダーチェ」は、その2日後の9月27日にヤーロウ社で進水すると、1917年3月1日にイタリア軍艦として竣工。本国へと回航されたのち、第1次世界大戦中はアドリア海方面で、オーストリア・ハンガリー帝国海軍の艦艇と戦いました。
そして大戦終結後の1929年9月、旧式化に伴い水雷艇へと変更されています。さらに1937年には、無人標的艦に改造された旧式巡洋艦「サン・マルコ」の遠隔操縦母艦になりました。
やがて第2次世界大戦が勃発すると、「アウダーチェ」は近代化改修を受け、護衛艦として実戦に参加します。しかし、1943年9月のイタリア休戦にともない、同艦は9日にトリエステを出港して連合軍への投降を試みますが、途中で機関が故障してヴェネチアに緊急入港したところで、ドイツ軍の手に落ちてしまいました。
ドイツ軍は「アウダーチェ」を拿捕すると、武装をドイツ式に改めたうえで艦名も「TA20」に変更し、地中海方面での任務に投入します。
こうしてドイツ軍艦として地中海で1年あまりにわたって活動したものの、1944年11月1日、アドリア海北部のクヴァルネル湾口に浮かぶロシニ島付近の海域で、イギリス駆逐艦2隻と交戦して撃沈されました。
ちなみにこの海戦は、「TA20」をはじめとしたドイツ艦艇が、撤退中のドイツ地上部隊を乗せた小規模船団の護衛中に発生しており、イギリス駆逐艦群は別任務で出撃中でした。襲撃は阻止され、肝心の船団は無傷で目的地に着いています。
かくして、日本の発注でイギリスに生まれた「江風」は、イタリアに「嫁入り」して第1次世界大戦を生き抜き、続く第2次世界大戦では、ドイツと「再婚」したうえで活躍中に「生みの親」であるイギリスの軍艦に撃沈されるという、数奇な運命をたどったのでした。
なお、前述したように「江風/アウダーチェ/TA20」は、元々は旧日本海軍の駆逐艦として建造されたものの、一度もインド太平洋方面に来ることなく終わっています。その点でも同艦は稀有な船と言えるでしょう。
Writer: 白石 光(戦史研究家)
東京・御茶ノ水生まれ。陸・海・空すべての兵器や戦史を研究しており『PANZER』、『世界の艦船』、『ミリタリークラシックス』、『歴史群像』など軍事雑誌各誌の定期連載を持つほか著書多数。また各種軍事関連映画の公式プログラムへの執筆も数多く手掛ける。『第二次世界大戦映画DVDコレクション』総監修者。かつて観賞魚雑誌編集長や観賞魚専門学院校長も務め、その方面の著書も多数。
コメント