兵庫県のポツンと「紫電改」見てきた! 日米の機体見比べたら「かつての敵国の方が評価してんじゃん!」
太平洋戦争中に旧日本海軍が運用した戦闘機「紫電」と、改良型の「紫電改」は新明和工業の前身である川西航空機が設計、製造しました。最終的に組み立てる工場が設けられたのは、意外すぎる場所でした。
敵国からも一目置かれた「日本海軍最高の戦闘機」
「紫電改」の実物大模型などを展示する「soraかさい」は三角屋根の木造建築で、天井部分にあるトラス構造のはりが特徴的です。建物は鶉野工場の格納庫を模したそうです。館内には「鶉野工場で終戦までに『紫電』466機、『紫電改』46機の計512機が組み立てられた」と説明があります。

模型ではなく、実物の「紫電改」は世界で4機が現存しています。うち1機は日本国内で、愛媛県南部の愛南町にある「紫電改展示館」に収蔵・展示されていますが、ほかの3機が存在するのは、意外にも太平洋戦争中に「敵国」だったアメリカです。
筆者(大塚圭一郎:共同通信社経済部次長)は、かつてワシントン支局に勤務していた際、ワシントンD.C.近郊にあるスミソニアン航空宇宙博物館別館「スティーブン・F・ウドバーヘイジー・センター」(バージニア州)で実機を見ています。脇に設置された説明文では、「紫電改」は「第2次世界大戦中に造られた日本海軍の戦闘機で最高のものだ」と称賛されていました。
水上戦闘機をベースにして苦心の末に造り上げた陸上戦闘機「紫電」の反省点を踏まえ、技術者らが抜本的に見直して開発した「紫電改」。太平洋戦争中の多大な犠牲者に胸を痛める一方で、改良に全力を注いだ日本人技術者らの汗の結晶が「敵国」だったアメリカから高く評価されていることには胸が熱くなりました。
Writer: 大塚圭一郎(共同通信社経済部次長・鉄旅オブザイヤー審査員)
1973年、東京都生まれ。97年に国立東京外国語大学フランス語学科卒、共同通信社に入社。ニューヨーク支局特派員、ワシントン支局次長を歴任し、アメリカに通算10年間住んだ。「乗りもの」ならば国内外のあらゆるものに関心を持つ。VIA鉄道カナダの愛好家団体「VIAクラブ日本支部」会員。
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