旧海軍の本格的な激レア4発爆撃機「連山」の“風防ガラス”を実見 場所は“群馬”…なぜ?
第二次世界大戦末期に旧日本海軍が開発した攻撃機「連山」の風防ガラスとみられる部品が、群馬県邑楽(おうら)町の民家から発見されました。展示される予定です。
戦後80年の節目に一般公開していきたい
中島飛行機といえば、一式戦闘機「隼」に代表されるように、陸軍機の印象が強い企業ですが、実は対米戦直前から戦中にかけて、海軍機の製造も多く担っていました。この地域では、九七式艦上攻撃機、双発爆撃機「銀河」、双発戦闘機「月光」などが製造され、さらに本来は三菱製の零戦の生産も担当。中島飛行機全体では、零戦の総生産数の約6割を製造していたといわれており、この地が日本海軍機の生産を大きく支えていたことがうかがえます。

「連山」も、小泉製作所で計4機が製造され、さまざまなテストが行われましたが、初飛行が1944(昭和19)年10月23日と、翌月からはマリアナ諸島のB-29が飛来し、本格的に本土爆撃が始まるような時期だったため、量産化に必要なデータを取る間もなく、開発が中止されることになります。
今回発見された風防ガラスは、それらの機体、もしくは追加製造予定の機体に取り付けられるはずだった部品とみられています。坂本さんは「地元の歴史を語るうえで、非常に貴重な資料になります。ほかの資料と合わせ、戦後80年の節目に一般公開していきたい」と語っています。
なお、当時の小泉製作所には滑走路がなかったため、飛行テストは現在スバル大泉工場となっている太田飛行場で実施されていました。そのため、小泉製作所から太田飛行場まで機体を運ぶための輸送路が整備されており、その道路は現在も大泉町の幹線道路として活用されています。大型軍用機が通行できるよう造られていたため、道幅も広く、非常に立派な道路です。
坂本さんは「実は今も、当時の面影を感じられる場所が道路沿いにいくつかあります。当時の航空写真と照らし合わせると、工場(旧小泉製作所)の設備がそのまま道路に活用されていることがよくわかります」と話します。
なお、「連山」の風防や当時の航空写真などを展示する企画展「新たな収集資料で見る戦時下の大泉町」は、2025年8月13日から19日まで、大泉町公民館1階ホールにて開催される予定です。
Writer: 斎藤雅道(ライター/編集者)
ミリタリー、芸能、グルメ、自動車、歴史、映画、テレビ、健康ネタなどなど、女性向けコスメ以外は基本やるなんでも屋ライター。一応、得意分野はホビー、アニメ、ゲームなどのサブカルネタ。
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