史上空前の“売れそうにない”車種名!? スズキが本気で作ってやっぱり消えた「ブームの火付け役だった原付」とは?
レーサーレプリカが一世を風靡していた1980年代に、スズキは「原付初のレーサーレプリカ」という、強烈なインパクトを持つモデルをリリースしました。名前からして“冗談”のようだった豆レーサーは、どのようなモデルだったのでしょうか。
本気の「冗談」は評判を呼ぶも、より「真面目な」ライバルが出現
強烈なインパクトを放ったギャグに対して、ヤマハは同じく1986年に「YSR50」を、ホンダは翌1987年に「NSR50」を対抗馬としてリリースしました。ただし、これらのライバルたちはギャグと違い、真面目に「ミニスポーツ」を目指して開発されていました。
また、ギャグはレーサーモデルをどこか「チョロQ」的にデフォルメして誇張した雰囲気でしたが、ヤマハやホンダのモデルは本物のレーサーを忠実に縮小した出で立ちであり、ユーザーはやがて後発の2車のほうに注目。結果、ギャグは原付レーサーレプリカのパイオニアにもかかわらず、市場から姿を消すことになりました。
ギャグは、より本格的で“真面目な”豆レーサーたちに圧倒されてしまったのですが、1980年代中盤のバイクシーンは前述の通り、かつてのレジャーバイクたちに満ちていた「遊び心」を失っていた時代でした。随所に本格仕様のパーツを装備しつつ、どこか肩の力が抜けた雰囲気も持っていたギャグは、“冗談”であると言いつつ、スズキが「気軽に乗れる原付で、バイク本来の遊び心や楽しさを伝えたい」と真剣に考えて開発した1台だったようにも思えます。
今となっては語られる機会が少なくなったギャグですが、「原付の革命的モデル」だったと言っても過言ではないように思います。
Writer: 松田義人(ライター・編集者)
1971年、東京都生まれ。編集プロダクション・deco代表。バイク、クルマ、ガジェット、保護犬猫、グルメなど幅広いジャンルで複数のWEBメディアに寄稿中。また、台湾に関する著書、連載複数あり。好きな乗りものはスタイリッシュ系よりも、どこかちょっと足りないような、おもちゃのようなチープ感のあるもの。
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