イージス艦「アーレイ・バーク」由来ナニ? ガチ嫌日→「海上自衛隊」創設に奔走した人物 その生涯がスゴい

アメリカ海軍のイージス駆逐艦「アーレイ・バーク」の艦名の由来となった人名をご存知でしょうか。実は日本の海上自衛隊創設に尽力した人物でもあります。

戦後は親日家としても知られるように

 ただ、戦後、日本に駐留し、多くの日本人や元日本海軍の将校などと交流するようになると、彼はうって変わって親日家となり、占領下にあった日本が良い形で解放されるようにと尽力するようになりました。

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1951年頃のアーレイ・バーク(画像:アメリカ海軍)

 特にかつての宿敵ともいえる元日本海軍将校、草鹿任一中将との出会いは、彼の日本人へのイメージを大きく覆したようで、その後、海上自衛隊の創設に奔走し、1954年にそれを成し遂げました。同時期にはアメリカ海軍大学の内部に指揮課程を創設。これは中佐、大佐クラスの各国海軍の士官を集めて、相互理解の促進と共通の認識を共有することで、国際的な安全保障環境を改善し、紛争を抑止することを目的とした課程です。

 アメリカ海軍大学にはバークのこんな言葉が掲げられています。 「人間にとって、国家にとって、そして海軍にとって最も重要なのは、友である」日本で友といえる人物に出会い、大きく人生が変わったバークらしい言葉といえます。

 さて、第一線を退いたバークですが1991年、90歳の時に大きな出来事がありました。それが新型の駆逐艦の一番艦が「アーレイ・バーク」と命名されたことです。1番艦に命名されたということは、そのままクラスリーダーとして、同型艦を示す分類名にもなります。

 本人存命中に艦艇にその名が命名されることは、アメリカ海軍において現在ではその数が増えていますが、そこまで多くの例があるという訳ではありません。彼はそれを見届け、1996年に没しました。

 彼は亡くなる間際、「日本から贈られた勲一等旭日大綬章だけを付けておきたい」と言い残しました。彼はアメリカだけでなく各国から勲章が贈られていましたが、その意思を尊重し、葬儀で胸には、日本の勲一等旭日大綬章だけが付けられたといいます。ワシントンにある海軍博物館には、バークに関する展示があり、各国から贈られた勲章が展示されていますが、日本からの勲一等旭日大綬章だけが抜けています。それは、今もしっかりとバークの胸に輝き続けているのです。

 バークの死に際して、アメリカ海軍は就役済みの「アーレイ・バーク」級駆逐艦全艦を1分間、31ノットで航行させ、追悼の意を表しました。

【墓標に描かれた“分身”】これが、ひと目でわかるアーレイ・バーク功績です(画像)

Writer:

なぎはまな。歴史は古代から近現代まで広く深く。2019年現在はフリー編集者として、某雑誌の軍事部門で編集・ライティングの日々。趣味は自衛隊の基地・駐屯地めぐりとアナログゲーム。

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