「ランプは車幅に含めるんですか?」 地下鉄車両サイズアップの歴史 そこにある「寸法のせめぎ合い」
地下鉄の車体寸法は、大阪は戦前の御堂筋線開業から基本的に変わっていませんが、東京は見直しが何度も繰り返されています。その背景と経緯を見ていきます。
東西線の国鉄直通が「車体寸法」の転機に
太平洋戦争の勃発で実際の工事は戦後の丸ノ内線まで持ち越されますが、丸ノ内線の車両規格は上述の委員会答申を完全に踏襲したものとなりました。ちなみに丸ノ内線300形は、日本で初めて両開き式ドアを本格採用した車両です。
ところが着工後になって、「幅2.8m」に車側灯(ドア開閉などを知らせるランプ)を含めるか否かで、運輸省と交通営団に認識の違いがあったことが分かります。厚み100mm(当時)の車側灯を加味すると、車体は銀座線と大差ない幅2.6mになってしまうため、車側灯部分のみ車両限界を拡大する特例が認められ、幅2.78mの車体を実現しました。後述のように、この考え方は一部の路線で現在に引き継がれています。
続く都営地下鉄1号線(浅草線)や日比谷線から他社線との相互直通運転が始まります。交通営団は引き続き委員会答申に従い、パンタグラフを設置する高さを除き、丸ノ内線と同様の車両限界としました。
交通営団、東武、東急、東京都交通局、京成、京急は1957(昭和32)年、運輸省に設置した「直通車両規格統一分科会」で各部の寸法や構造、機能の共通を議論。この結果、日比谷線(開業時)と浅草線はともに、長さ18m×幅2.78m(車側灯込みで2.83m)の3扉車両を導入しました。
転機となったのは、国鉄中央線・総武線と相互直通運転が決定した東西線です。国鉄に準じて20m級4ドア車両を採用し、車両限界も幅2.88mに拡大されました。ただし車体そのものは幅2.8mが上限で、空間に余裕があるため車側灯部分の拡大はありません。
その後、常磐線・小田急線と直通する千代田線、東武東上線・西武池袋線と直通する有楽町線も同等の規格となりましたが、東急の車両限界は他社よりやや小さかったため、事情が異なります。
新玉川線(現・田園都市線渋谷~二子玉川)に直通する田園都市線(二子玉川以西)、当初は池上線と直通を予定していた三田線、目黒線に直通する南北線は、東急にあわせて車両限界が幅2.8m(車側灯込みで2.86m)、車体寸法が幅2.78m(同2.83m)、日比谷線と同じ数値になっています。
東京の地下鉄車両は50年の時間をかけて、長さは16mから18m、20mへ、幅は2.6mから2.8mへ拡大し、定員も約100人から約150人へ大幅に増加しました。数十センチ、数メートルの違いには、先人たちの知恵と努力が詰まっているのです。
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx
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