「ランプは車幅に含めるんですか?」 地下鉄車両サイズアップの歴史 そこにある「寸法のせめぎ合い」
地下鉄の車体寸法は、大阪は戦前の御堂筋線開業から基本的に変わっていませんが、東京は見直しが何度も繰り返されています。その背景と経緯を見ていきます。
省電だと大きい、市電だと小さい
大阪メトロでは地下鉄8路線のうち、阪急と相互直通運転を行う堺筋線、リニア地下鉄の長堀鶴見緑地線、今里筋線を除く5路線は、先頭車両18.9m・中間車両18.7m×幅2.8m(車側灯含まず、以下同)という同じ車体寸法の車両が用いられています。1934(昭和9)年開業の御堂筋線から規格を守り続けているのは、先見の明を感じざるを得ません。

一方、1927(昭和2)年に開業した東京最古の銀座線は、民営の東京地下鉄道が建設しました。長さ16m×幅2.6mの小型車両を採用して建設費削減を図りましたが、やがて輸送力不足が明らかになり、何度も車両規格を見直さなければなりませんでした。その経緯を見ていきましょう。
最初の地下鉄車両である「1000形」の設計にあたり、東京地下鉄道が参考にしたのは省電(国有鉄道)と市電(後の都電)です。省電は当時、著しく増加していたラッシュ対策として、従来型から拡幅した長さ16m×幅2.7m(大正後期の山手線は4~5両編成)の新型車両を導入していました。
しかし反面、日中の閑散時間帯はやや輸送力が過剰であり、効率的とはいえません。一方、市電(路面電車)の新型車両は長さ11m×幅2.2mでしたが、これではラッシュ輸送に対応できません。車幅が広いほどトンネルが大型化するため、車体と輸送力のバランスは重大問題でした。
結局、運転系統が単純な地下鉄は運転間隔の調整や車両の増解結が容易なので、輸送力は状況に応じて臨機に調整することとし、車幅は省電と市電の中間程度に決まりました。しかし東京の郊外化が進むと不足が明らかになり、鉄道省は1941(昭和16)年に「地下鉄道建設技術委員会」を設立し、今後の新設路線の規格見直しに着手しました。
委員会は長さ18m、車両限界(車両が超えてはならない限度)を幅2.8mとし、片側3か所に幅1.3mの両開き式ドアの採用が適当とする答申を発表。これに従い、地下鉄事業を継承した帝都高速度交通営団(営団地下鉄)が新線建設に着手しました。
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