高市新総裁の“尊敬する人物”の首相時代に実行された「正気とは思えない超長距離爆撃 」とは 英国執念の珍作戦
フォークランド紛争中、1982年5月1日から6月12日にかけて、イギリス空軍は常識では考えられないほど壮大な作戦「ブラック・バック作戦」を実行されました。
フォークランド紛争中に本当に考え出された実施された珍作戦
2025年10月4日、自民党の新総裁に高市早苗・前経済安全保障担当大臣が選出されました。自民党総裁に女性が就任するのは初めてで、近く開かれる国会の首相指名選挙で選出されれば、日本初の女性首相が誕生することになります。

その高市氏が尊敬する人物として挙げているのが、イギリス初の女性首相・マーガレット・サッチャーです。サッチャー首相は任期中、アルゼンチンがフォークランド諸島(アルゼンチン名:マルビナス諸島)の領有を主張して軍隊を上陸させたことを受け、すぐさま陸海軍の派遣を実施、反撃に出ました。この決定によりフォークランド紛争が始まりました。
そのフォークランド紛争中、1982年5月1日から6月12日にかけて、イギリス空軍は常識では考えられないほど壮大な作戦「ブラック・バック作戦」を実施しています。
1982年3月19日にフォークランド諸島をアルゼンチン軍が上陸し、掌握したことをきっかけに始まった同紛争ですが、ジェット戦闘機を運用できる滑走路があった同島のポート・スタンリー空港が、アルゼンチンに占領されたことが、イギリスにとって大きな痛手となりました。イギリスは軽空母「ハーミーズ」「インヴィンシブル」を中核とした機動部隊を編成し、現地に派遣しましたが、そこには大きな課題があったからです。
当時のイギリス軽空母が運用できる艦載機は、垂直離着陸(VTOL)機の「シーハリアー」のみであり、その速度や搭載量の制約から、空戦能力や地上攻撃能力に限界がありました。ポート・スタンリー空港をアルゼンチン軍が自由に使用できるようになれば、イギリス軍にとって圧倒的に不利となるのは明白でした。一刻も早く滑走路を無力化する必要があったのです。
しかし、大西洋には太平洋と比べて島が少なく、イギリス軍が利用可能な航空基地は、フォークランド諸島から約6000kmも離れたアセンション島のワイドアウェーク基地しかありませんでした。当時、イギリス空軍が運用していたアブロ「バルカン」戦略爆撃機をもってしても、片道の航続距離すら足りない状況でした。
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