海軍の“無茶振り”が名機を生んだ? 世界を驚愕させた「零戦」誕生の裏側 じつは整備員にも不評だった!?【大戦「その時」】

旧日本海軍が新戦闘機に望んだ要求は、とてつもない厳しいものでした。しかし、これをものともせず黙々と取り組み、見事完成させた技術陣。戦後の今日でも、名機「零戦」として知られる傑作機を開発した関係者の証言を振り返ります。

この記事の目次

・海軍が要求した性能プラン

・ほぼ要求どおりに誕生

・零戦はこうして生まれた

海軍が要求した性能プラン

※本記事は月刊『丸』(潮書房光人新社)2023年10月号に掲載された鈴木順二郎氏(戦中は元空技廠飛行機部戦闘機主務部員・海軍技術中佐)の手記から抜粋・編集したものです。

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整備中の零戦二一型(画像:月刊『丸』提供)。

 日支事変から太平洋戦争の全期間をつうじて、日本海軍の主力戦闘機として活躍し、戦後の今日でも、名機「零戦」として人々に知られている零式艦上戦闘機は、昭和12年、海軍が十二試艦上戦闘機の試作を決定し、三菱、中島の二社に、その計画要求を検討させたことがそのはじまりである。

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Writer:

1948(昭和23)年2月に創刊した、80年近い歴史をもつ月刊誌。第二次世界大戦における戦争体験者の生の声を収集し、大戦当時の貴重な写真を掲載。発刊元は株式会社潮書房光人新社。

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