JRと私鉄でバチバチ争った「2つの終着駅」どっちがスゴい? 築135年vs.96年

世界文化遺産・日光の玄関口とも言える「日光駅」と「東武日光駅」。どちらも、昔から要人や外国人観光客を迎えてきた歴史があり、他の駅にはない特徴を有しています。二つの日光駅について取り上げます。

ネオ・ルネサンス風の駅舎

 世界的観光地・栃木県日光に鉄道の駅ができたのは、1890(明治23)年のこと。開業当時は日本鉄道による簡素な平屋駅舎でした。開業式には小松宮彰仁親王が臨席し、明治期から日光が皇族や外国人観光客に愛されていたことを物語っています。

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JR日光線の日光駅(安藤昌季撮影)

 その後、1906(明治39)年の鉄道国有化を経て、1909(明治42)年に国有鉄道(当時)日光線の駅となりました。1912(大正元)年には現在の駅舎となる二代目駅舎に改築されます。東京駅よりも2年早く、ネオ・ルネサンス風の壮麗な建築デザインでした。

 長年設計者が判明していませんでしたが、現在では当時鉄道院にいた明石虎雄(22歳前後)が設計監督に関わっていたことが判明しています。明石は日光駅の駅舎完成の数年後に、家業を継ぐため退職。愛媛県宇和島市内の小中学校や銀行、工場などを手がけましたが1923(大正12)年に若くして亡くなっています。日光駅は彼の代表作の一つといえるでしょう。

 なお、貴賓室は1899(明治32)年に設けられ、1922(大正11)年のイギリス皇太子来日を機に改装が行われました。さらに1956(昭和31)年には、2番ホームを115mから135mに延伸し、ホーム高さも660mmから920mmにかさ上げ、上屋延長と跨線橋架け替えも行われました。時期的に東京駅からの気動車準急「日光」の直通と、1959(昭和34)年に予定されていた日光線電化に対応した輸送力増強に合わせた改良でしょう。

 1959(昭和34)年には、特急並みの157系準急「日光」も運行が開始され、にぎわった日光駅でしたが、東武鉄道の特急列車が豪華さと本数で国鉄を圧倒し、1982(昭和57)年には日光線から優等列車が姿を消してしまいます。

 とはいえ、JR化以降には、池袋や新宿などからの快速列車が乗り入れるようになり、1997(平成9)年には「関東の駅百選」にも選ばれています。

 2009(平成21)年には開業120周年を記念してレトロ風改装を行い、2017(平成29)年にはクルーズトレイン「TRAIN SUITE 四季島」を受け入れるために、外壁の塗り替えやホームの屋根の改修、床の舗装、「四季島」専用ゲートも設置しています。「四季島」の運行時には、乗客向けイベントとして貴賓室の公開も行っているようです。

 現在、駅舎2階には旧一等車利用客専用待合室だった「ホワイトルーム」がギャラリーとして一般公開されています。待合室も高級感のある内装です。駅の構造は相対式ホーム2面2線で、1番線は「四季島」の10両編成が停車できる長さがあります。

 構内はかつて2面3線でしたが、現在は1線が撤去され使われていません。日光線の列車は駅舎側の1番線に入りますが、一部の時間帯や団体列車到着時は2番線を使用します。2番線にはエレベーター付きの跨線橋があります。

【レトロ派?モダン派?】「日光」「東武日光」両駅の駅舎を見る(写真)

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