人呼んで「通勤快速」 スズキのド定番スクーターの39年 いかにもスズキな“売り方”とは?
1980年代前半から後半にかけての原付市場はスクーター一色。ホンダかヤマハのスクーターが目立つなか、スズキの「アドレス」も、1987年の発売から今日まで親しまれています。
“カッ飛び系”ユーザーに愛された初代「アドレス」
1980年代前半の日本のバイク市場は、いわゆる「HY戦争」と呼ばれるホンダ・ヤマハの激しいシェア争いにより、毎週のように新型バイクが登場した時代でした。また、1977年発売のヤマハ「パッソル」はスクーターブームを巻き起こし、両社とも原付スクーターの開発にも力を注ぎました。
もちろん、スズキも「ジェンマ」を筆頭に複数のスクーターを発売しましたが、ホンダやヤマハのスクーターに比べると、どうも地味めな印象でした。しかし1987年、ついにこの時代における最高峰の原付スクーター「アドレス」を発売したのです。
初代アドレスは、スズキが「スポーティアートフォルム」と呼称したスリムな車体や、当時まだ珍しかったシート下のメットイン機能を備えていたのが特徴です。また、エンジンは最高出力6.5psと、50ccの2ストロークとしてはクラストップのパワーを実現。滑らかな加速性能は当時のスクーターのなかでも抜きんでるものでした。
ちなみに、スズキは初代アドレスのCMキャラクターに、当時絶大な人気を誇っていた本木雅弘氏を起用。アドレスを世に広めたいという、スズキの強い思いと自信を感じます。
また、発売翌年の1988年には、さらに出力を高めたスポーツモデル「アドレス・チューン」もラインナップに追加。走り屋系の若者たちに支持されました。
さらに、1990年には早くもフルモデルチェンジし、車名も「アドレスV」「アドレスVチューン」へと改めました。外観はよりスマートになりましたが、レギュラーモデルのアドレスVよりも、スポーツモデルのアドレスVチューンばかりが売れる事態に。スズキはこれを受け、後に従来のアドレスVを廃止し、それまでのVチューンを「アドレスV50」へ改称しつつ、ラインナップを一本化しました。少々ややこしいですが、これは当時のユーザーが、アドレスに速さを求める傾向が強かったことを示すエピソードでしょう。
また、1991年には「アドレスV100」という原付二種モデルも発売。4.8Lの大型タンクなどが装備された、ロングツアラー的なモデルだったと感じます。以降は「50ccのアドレス」と「原付二種のアドレス」の2つの系統に分かれ、それぞれ進化を続けていくことになります。





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