零式艦上戦闘機の「零式」のナゾ どのようにつけられた? 「ぜろせん」or「れいせん」どっち?
日本海軍の傑作戦闘機として現在まで名前を残している零式艦上戦闘機。通称では「ゼロ戦」とも呼ばれるこの機体ですが、そもそもなぜ「零式」という名前が付けられたのでしょうか。
昭和に入ってから直面した大問題が採用のきっかけ
実は大正までは、兵器採用時の元号年がそのまま使われていました。しかし昭和になってから問題が発生します。大正は大正15年で終わってしまったため、そのまま元号による兵器命名を続けると、昭和初期と大正時代に採用された兵器で数字が多数重複してしまうことが確定していたのです。
例えば零戦は、大正までの命名法であれば「一五式艦上戦闘機」になります。しかし退役こそしていますが、大正15年に採用された一五式水上偵察機や一五式飛行艇など、同じ「一五式」の軍用機がすでに存在しており、非常に紛らわしい状況になります。
そこで皇紀を使うことで、昭和初期に採用された兵器は八九式中戦車、九〇式艦上戦闘機といった形で表記され、差別化が実現しました。また1930年代以降に強まった国粋主義や皇国史観も、兵器命名に皇紀を採用する大きな後押しになったと言われています。
ただし、零戦が採用された皇紀2600年においては、陸軍と海軍で考え方に違いがありました。海軍は従来どおり下2桁を取って零式としましたが、陸軍は「99」の次であることから100を採用し、「一〇〇式」と表記しました。
その後、海軍と陸軍では兵器の命名法がさらに分かれていきます。陸軍は一式戦闘機「隼」、四式重爆撃機「飛龍」など、引き続き皇紀を用いた命名を続けました。一方、海軍では第二次世界大戦中の1943(昭和18)年7月に命名方法を変更し、気象・空・海・草花などを基にした名称が採用されるようになります。
そのため、大戦中に登場した局地戦闘機「雷電」や、零戦の後継機として計画されたものの実戦配備には至らなかった「烈風」には、「〇〇式」という表記がありません。
ただし、公文書などの正式な書面では型番が用いられており、例えば雷電の場合はJ2Mとなります。Jは局地戦闘機を示し、2は新制度下で2番目に開発された機体、Mは三菱を意味します。





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