浦和+東西南北中武蔵美園 「浦和の付く駅」ありすぎ問題 なぜここまで増えたのか もっと個性的な名前にならなかったの?
さいたま市には「浦和」の付く駅がたくさん存在します。オリジナルの「浦和」や方角の東西南北は当たり前。武蔵、中、美園も加えると実に8種類も。なぜ、「浦和」の付く駅がこのように増えてしまったのでしょうか。
東西南北のストックが尽きた…新駅名どうする?
ここから10年程度の間隔で新しい「浦和」駅が次々と誕生します。1973(昭和48)年に武蔵野線が開業し、南浦和で東北本線と交差。南浦和を挟んで東浦和駅(緑区東浦和)と西浦和駅(桜区田島)が設置され、オリジナルの浦和駅開業から90年で東西南北が揃いました。
南浦和駅の東西にあるからという安直なネーミングですが、開業直前の地図を見ると駅周辺は全くの未開発で、駅名に採用できる歴史的な地名や施設はありません。
武蔵野線は貨物輸送を中心に、合間に旅客列車を走らせる位置付けの路線でした。また、国鉄の使命は全国鉄道網の整備・運営ですから、沿線開発のために個性的な駅名を付ける私鉄と異なり、地域レベルの細かい地名を駅名に採用しないのです。
さてこの後が問題です。1985(昭和60)年に埼京線が開業すると、浦和市西部(現在のさいたま市桜区)に新たに2駅が置かれました。もう「浦和」駅の方角ストックはありません。これには国鉄当局も頭を抱えたはずです。
鉄道は開業前から「仮称」という形で駅名を公表することが珍しくありませんが、埼京線では路線名が「通勤別線」、駅名は「第1駅(現・北赤羽)」から「第10駅(現・北与野)」として、直前まで明確にしませんでした。
埼京線は東北新幹線の高架線建設を受け入れる見返りとして建設された背景があるため、地元の意向を無視するわけにはいきません。そこで国鉄は、駅名の決定は「地元からの要望があれば尊重する」との姿勢を示します。
これに対し、例えば埼玉の戸田市は公募を行い「戸田公園(第3駅)」「戸田(第4駅)」「北戸田(第5駅)」を要望しました。東京の北区は第1駅を「北赤羽」とすること異論はなかったものの、第2駅を巡って「浮間」と「舟渡」が対立し、最終的に「浮間舟渡」に決まりました。





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