浦和+東西南北中武蔵美園 「浦和の付く駅」ありすぎ問題 なぜここまで増えたのか もっと個性的な名前にならなかったの?
さいたま市には「浦和」の付く駅がたくさん存在します。オリジナルの「浦和」や方角の東西南北は当たり前。武蔵、中、美園も加えると実に8種類も。なぜ、「浦和」の付く駅がこのように増えてしまったのでしょうか。
浦和市が要望した新駅名は
では浦和はどうだったのか。1985(昭和60)年3月の浦和市議会定例会で当時の浦和市長が説明したところによれば、市の広報紙を通じて市民から募った駅名案を、市内の文化団体などの代表者が検討し、決定したそうです。
浦和市は第6駅(南区別所)を「武蔵浦和」、第7駅(南区鹿手袋)を「新浦和」で要望しますが、国鉄は後者に難色を示します。理由は不明ですが、都市の新たな拠点に付けられることが多い「新」駅を、未開発の地に使用するのはそぐわないと判断したのかもしれません。
最終的に「中浦和」となった理由は、国鉄、地元とも言及していないため不明です。地方には「中〇〇」の駅名がいくつか見られますが、関東では例のない用法です(「中目黒」は中目黒村が由来)。
強いて理由を付ければ北浦和、南浦和、西浦和で描く三角形の中にあるから、でしょうか。どちらにせよ重要なのは、第6駅と第7駅に「浦和」の字を求めたのは地元だったということです。周りが何と言おうと、地元は「浦和」の付く駅を望みました。
埼京線は交通利便性が低かった浦和市西部にとって待望の交通機関であり、街の開発に大きな期待が寄せられました。「浦和」の文字は街の位置付けを明確化するために不可欠だったのです。
とはいえ「武蔵浦和」というのはかなり無理やりな名前です。「武蔵○○」の駅名は武蔵小金井、武蔵小杉、武蔵高萩など複数存在しますが、これは東北本線の小金井、北陸本線の小杉、常磐線の高萩など離れた既存駅と区別するため、旧国名を付けたケースです。一方で「浦和」と「武蔵浦和」は同じ市内ですから本来の使い方とは全く異なりますが、「新浦和」を却下した以上、候補がなかったのでしょう。
そして最後、2001(平成13)年に開業したのが浦和美園駅(緑区美園)です。こちらは1999(平成11)年に市民公募を実施し、775種類の駅名案から浦和市、埼玉高速鉄道の選考委員会を経て決定したものです。浦和美園に応募したのは1733件中73件だったといいます。
美園とはかつて存在した埼玉県北足立郡美薗村にあたる地域で、1962(昭和37)年に北は浦和市、南は川口市に編入されました。浦和美園駅は美薗地区の中心にあたります。浦和を付けたのは、札幌市営地下鉄に美薗駅(1994年開業)があるからでしょう。
ちなみに武蔵野線が計画された1960年代後半、東川口駅の仮称が「美薗駅」でした。周辺は川口市に編入されたばかりで、しかも市の北端に位置するため、確かに「東川口」だと違和感があります。地元の要望があったのか、最終的には東川口駅として開業しますが、もし札幌に先駆けて「美薗駅」が誕生していたら、「浦和美園」はどんな名前になっていたのでしょうか。
Writer: 枝久保達也(鉄道ライター・都市交通史研究家)
1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter:@semakixxx





コメント