鉄道が“ライバル”に塩を送った!? 今や当たり前の「空港駅」いつからある? 航空との歴史を変えた国鉄の転換点
鉄道と航空はかつて、完全な競合であり、相互の利便性を補完する関係性ではありませんでした。しかし現在では「空港」の付いた駅がいくつも存在しています。いつ頃からそうなったのでしょうか。「空港駅」について取り上げます。
競合から補完関係へ
1960年代まで、国内旅行の主役は鉄道でした。民間の航空路は高額で便数も少なく、主役になり得なかったのです。ところが1970年代以降、所得上昇などを追い風に航空需要は大幅な伸びを見せます。
しかしこの航空は、鉄道にとって「空港アクセスを便利にすると、それだけ航空機に利用客を奪われる」という競合相手です。そのため空港アクセス鉄道の発想はありませんでした。
空港アクセスを主眼とした最初の鉄道は、京急電鉄の穴守線(現・空港線)です。元々は沿線にある穴守稲荷への参詣路線でしたが、終点の穴守駅(現在廃止)から羽田飛行場(1931年開港)に向かう人の姿もみられました。
1956(昭和31)年、京急穴守線に羽田空港駅が開業します。しかし、空港までは遠く、連絡バスも利用客が少ないため廃止され、実際の空港アクセスは困難な“名ばかり空港駅”でした。
1964(昭和39)年に東京モノレールが開業し、終点の羽田駅(後に廃止。現在の天空橋駅の近く)から空港アクセスが可能に。1993(平成5)年には羽田空港駅(現・羽田空港第1ターミナル駅)まで延伸し、1998(平成10)年には京急空港線も羽田空港駅(現・羽田空港第1・第2ターミナル駅)が開業し、現在は東京モノレールと京急が羽田空港アクセスを担っています。
一方の成田については1971(昭和46)年、アクセス鉄道として国が成田新幹線の基本計画を策定します。しかし、反対運動などにより計画が頓挫(とんざ)しました。
京成電鉄は1978(昭和53)年に成田空港駅(現・東成田駅)を開業させます。当時は駅からターミナルビルまでの800mを連絡バスで結んでいました。
北海道では1980(昭和55)年、国鉄が画期的な施策を打ち出します。空港アクセスを目的とした千歳空港駅(現・南千歳駅)を開業させたのです。空港利用者の便益を図る駅を国鉄が造ったことは驚きをもって迎えられました。
1992(平成4)年、新千歳空港ターミナルビルの供用開始にあわせて千歳空港駅は南千歳駅に改称し、同駅から分岐した支線の先に新千歳空港駅を開設しました。
成田では1991(平成3)年、現在の成田空港駅が開業し、JRと京成が乗り入れを開始。1992(平成4)年には空港第2ビル駅も誕生しました。2010(平成22)年には成田スカイアクセス線も開業して、現在に至ります。
この「空港アクセス線を既存線から伸ばす」という発想は、各地に広がりを見せていきます。





花巻空港駅につき全国で唯一の無人駅との記述がありますが、米子空港も無人駅じゃないですか?
航空機のライバルは国鉄のみです
分割されたJRも対象外でしょう
東京モノレールは最初から空港輸送を目的として建設されたもの、主旨から外されます
お題の「鉄道が“ライバル”に塩を送った!? 今や当たり前の「空港駅」いつからある? 航空との歴史を変えた国鉄の転換点」では意味が全く違うことになっています