上野東京ラインはなぜ川口駅に停まらない? 利用者多いのに…背景に“便利さ逆転”の歴史
埼玉県川口市とJR東日本は、川口駅に上野東京ラインを停車させる事業を進めています。なぜ多くの利用者がいる川口駅に現在は京浜東北線しか停車しないのか、その歴史的経緯を紐解きます。
川口駅の利用者は本当に多いのか?
JR東日本の発表によると、2024年度の1日あたりの乗車人員は以下の通りです。ここでは川口駅に関連して、赤羽~大宮間を主体にデータを集め、各駅の開業日も加えました。
赤羽 9万4167人、1885(明治18)年3月1日
川口 7万5061人、1910(明治43)年9月10日
西川口 5万4974人、1954(昭和29)年9月1日
蕨 5万5862人、1893(明治26)年7月16日
南浦和 5万5310人、1961(昭和36)年7月1日
浦和 9万939人、1883(明治16)年7月28日
北浦和 4万8182人、1936(昭和11)年9月1日
与野 1万8011人、1912(大正元)年11月1日
さいたま新都心 5万3720人、2000(平成12)年4月1日
大宮 25万4220人、1885(明治18)年3月16日
これらの駅では、大宮の利用者数(乗車人員)が群を抜いていますが、次いで赤羽・浦和・川口の順となり、京浜東北線しか停まらない駅だと川口が多くなっています。
駅ができた順番は、最初に浦和、次いで赤羽・大宮・蕨・川口の順です。川口駅は開業時から1934(昭和9)年まで「川口町」駅と呼ばれていました。
1932(昭和7)年に京浜東北線が大宮まで延伸した際、赤羽~大宮間の各駅は京浜東北線に分離されました。それ以前は、上野から仙台や青森を結ぶ長距離列車も川口(町)に停まっていましたが、分離後、東北線や高崎線方面の列車は赤羽と大宮だけに停車し、その間の各駅は通過するようになりました。
例外は浦和で、分離当初は一部の列車が停車していたこともありました。東北線の列車が浦和に再び停車するようになったのは、1968(昭和43)年10月のことです。湘南新宿ラインも当初は浦和を通過していましたが、ホームを設けて2013(平成25)年から停車しています。
1934(昭和9)年の時刻表を見ると、当時は上野発着の東北線・高崎線方面の列車が合計で毎時2~3本運行されていました。これに対し、京浜東北線の列車は日中16分ごとに運転され、ラッシュ時間帯は運転間隔を8分としていました。しかも、現在と同じく都心部を経由して横浜方面まで乗り換えなしに移動できたとあれば、当時は京浜東北線の方が圧倒的に便利だったと言って良いでしょう。
2026年3月のダイヤ改正の時刻を見ると、日中の運転本数は上野東京ラインが毎時6本、京浜東北線が毎時12本で、京浜東北線の本数が圧倒しています。
川口に上野東京ラインを停車させる事業は、浦和に湘南新宿ラインが停車するようになった構図に似ていますが、事情は異なります。今後、この事業がどう進められるのかが注目されます。
Writer: 柴田東吾(鉄道趣味ライター)
1974年東京都生まれ。大学の電気工学科を卒業後、信号機器メーカー、鉄道会社勤務等を経て、現在フリー。JR線の2度目の「乗りつぶし」に挑戦するも、九州南部を残して頓挫、飛行機の趣味は某ハイジャック事件からコクピットへの入室ができなくなり、挫折。現在は車両研究が主力で、技術・形態・運用・保守・転配・履歴等の研究を行う。鉄道雑誌への寄稿多数。資格は大型二種免許を取るも、一度もバスで路上を走った経験なし。





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