戦艦「扶桑」の“違法建築”は何と呼ぶのが正しい? 「艦橋」と「檣楼」なぜ曖昧になったのか
第二次世界大戦期の軍艦、特に戦艦の“顔”となるのは、艦首主砲塔の背後にそびえ立つ巨大な塔状の構造物。この構造物の正式名称を知っていますか?
高さを追求した「檣楼」の発達
まず、起源が古いのは檣楼です。人類は船を使い始めた早い段階から、風力を利用する帆を発明していました。この帆を張るための帆柱を「マスト」と呼びますが、船が大型化するのに伴って、この「マスト」の上部に見張り台が設けられるようになりました。
長い間、軍艦と商船の境界は曖昧でしたが、水平線の向こう側を見張って、海賊船や敵艦を先に発見するには、マストの上が有利だったのです。また遠くから見えるよう、旗を掲げて自艦の意思を伝える信号通信機能も加えられました。
帆船時代が終わり、蒸気船の時代になっても「マスト」は残り続けました。地球の曲率のため、遠くを見るための観測所や信号通信は、高所に設けることが重要であったからです。このように役割は変わっても、呼び方は帆柱を意味する「マスト」のままでした。
ちょうどその頃、日本では幕末から明治の文明開化期を迎えました。西洋の船舶、軍艦が大量に導入される際に、この「マスト」には、帆柱を意味する「檣(しょう)」と、見張り台や戦闘用の櫓を意味する「楼(ろう)」を組み合わせた「檣楼」という訳語が充てられたようです。
以後、軍艦の近代化とともに「檣楼」も発展します。最上部には大型の光学式測距儀や各種観測装置が置かれるようになり、構造も変化します。帆柱の面影を残すシンプルな棒状から、搭載装備の重量増加に対応して、三脚檣のような頑丈な構造が登場します。また「檣楼」の基部から中間のスペースには、観測や指揮、通信設備を備えた台座や区画が積み重ねられるようになるのです。このように「檣楼」は、近代軍艦では観測、通信、射撃指揮を担う複合的な高所構造へと発展したのです。





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