戦艦「扶桑」の“違法建築”は何と呼ぶのが正しい? 「艦橋」と「檣楼」なぜ曖昧になったのか
第二次世界大戦期の軍艦、特に戦艦の“顔”となるのは、艦首主砲塔の背後にそびえ立つ巨大な塔状の構造物。この構造物の正式名称を知っていますか?
艦の指揮や操艦を担う場所が「艦橋」
「檣楼」と比べると、「艦橋」は、19世紀中盤の蒸気外輪船を起源とする、比較的新しい構造です。外輪船とは、船体の両舷に張り出したパドルホイールと呼ばれる外輪の回転で推進力を得る船のことです。
このパドルホイールを覆うハウジングの間を行き来するために、船体の中央を横断する架け橋が設けられました。これが「艦橋(ブリッジ)」と呼ばれた理由です。ただ、川に架かる橋と区別するために、英語ではNautical Bridge(航海艦橋)とも呼びます。
この「艦橋」は比較的高所にあり、艦全体を見渡せるだけでなく、周囲への視界も開けていました。艦の操船指揮に適した場所であったため、艦長やスタッフが常時詰めるようになります。そして蒸気や水圧を用いる補助動力付き操舵機が普及すると、その制御端末である操舵輪が「艦橋」に置かれ、操艦指示が簡単にできるようになります。また艦内各所に命令を出せる伝声管も「艦橋」に集約されました。
こうして時代が進むにつれて、「檣楼」は足場を増やして高さを求め、「艦橋」は床面積を求めるようになります。同時に、砲ごとに実施していた照準と射撃の命令を射撃指揮所が担うようになると、操艦をする「艦橋」と、砲撃を観測・指揮する「檣楼」は行き来しやすい方が便利なため、物理的に接近するようになります。そして、第2次世界大戦を迎える頃には、「檣楼」の基部に「艦橋」が組み込まれる形で、ほとんど一体化したのです。
このような歴史の結果できあがった高層構造物なので、解説や戦記本では、砲撃指揮の視点では「檣楼」と呼び、操艦や司令部の描写では「艦橋」という言葉を使い分けるようになります。ただ、軍艦によっては「艦橋」と「檣楼」が完全に一体化していない場合もあります。だから「艦橋構造物」と呼んで、建物全体を指すような表現も使われるのです。
Writer: 宮永忠将(戦史研究家/軍事系Youtuber)
1973年生まれ、上智大学文学部史学科卒業、東京都立大学大学院人文科学研究科中退。 雑誌編集者、ゲーム会社ウォーゲーミングジャパン勤務等を経て、各種メディアにて歴史・軍事関連の執筆や翻訳、軍事関連コンテンツの企画、脚本などを手がける。Youtube「宮永忠将のミリタリー放談」公開中。





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