「厚木駅」なのに海老名市 お隣の市の名前が付けられた理由とは?

「厚木」に込められた鉄道会社の思惑

 神中鉄道は翌1917(大正6)年に設立されましたが、1918(大正7)年には輸送力を大きくするため、計画の変更を申請。1919(大正8)年に許可されました。計画変更の申請書類では、終点の場所こそ変更前の計画とほぼ同じですが、その表現は「河原口」ではなく「愛甲郡厚木町(現在の厚木市)ト相模川ヲ挟メル対岸高座郡海老名村ニ於ケル相模鉄道厚木停車場附近」に変わっています。

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現在は車両の留置などに使われている相鉄厚木線の厚木駅。この西側(写真左)にJR相模線、南側(写真手前)に小田急小田原線の駅がある(2017年5月、草町義和撮影)。

 この記述にある「相模鉄道」は現在のJR相模線のこと。ただし、相模線の建設を計画したのは相鉄です。ちょっとややこしいですが、戦時中に相鉄が神中鉄道を吸収合併する一方、相模線が国鉄線に編入されて相鉄の手を離れたため、現在の相鉄は神中鉄道の路線だった相鉄本線や厚木線を運営しているのです。

 つまり、相模線を計画した当時の相鉄が、海老名村に「厚木」を名乗る駅の設置を最初に考え、神中鉄道もそれにあわせたようです。こうして1926(大正15)年5月、神中鉄道の厚木駅が海老名村の河原口に開業。同年7月には相模線の厚木駅も同じ場所に開業し、ふたつの路線の接続点になりました。

 それではなぜ、当時の相鉄は海老名村内に厚木駅を設ける計画を立てたのでしょうか。1980(昭和55)年に発行された小田急電鉄の社史『小田急五十年史』によると、相鉄の重役を兼ねていた海老名村長が、河原口に設ける駅に「厚木」と名付けることを考えたといいます。

 このころ、海老名村の人口が約9000人だったのに対し、厚木町は約3万人。村長としてというよりは、相鉄の重役として「規模の大きい厚木の名を冠した方が、相模線の利用者が増える」と判断したのかもしれません。

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コメント

10件のコメント

  1. 対岸くらいで文句を言わんで欲しい、厚木飛行場?基地?のほうがもっと遠いぞ。

  2. いや、厚木飛行場の方が遠いから。
    最も米軍厚木基地は即廃止にしないと大和トンネルの問題を解決出来ないように思えるが。

  3. 今更改称されてもピンと来ないし混同しそう。経緯はどうであれ本厚木のままでいいだろう。

  4. 品川駅が港区にあって、目黒駅が品川区にあるようなものですね

  5. 川西池田のようなもんだろう

  6. 小田急河原口駅と相模線厚木駅を合併する際に、河原口駅としなかったのがいけない。
    あそこは、厚木ではなく、「河原口」。

    つか、品川にない品川駅や東京にない東京ディズニーランドもな。

  7. まず「県央」を「神奈川県中部」って辺りによそ者感ハンパないと感じたのは私だけですか…?

  8. 厚木市が海老名市を吸収合併したらどうだろう?

  9. 新東京国際空港はどうなる?

  10. 御茶ノ水も、神田川をはさんで区が分かれていますね。
    JR御茶ノ水駅と東京メトロ新御茶ノ水駅(千代田線)が千代田区神田駿河台、
    東京メトロ御茶ノ水駅(丸ノ内線)は文京区湯島。