減りゆくヘッドマーク JR特急の愛称名に込められた思いと歴史とは
戦後、列車愛称は350種類以上に増えるも減少へ
余談ですが、この「燕」は所要時間を短縮するため、いまでは考えられないようなことが行われていました。当時は全区間を蒸気機関車(SL)が牽引していましたが、途中で水の補給を省略するため、機関車の後ろに巨大な水タンクを搭載した水槽車を連結。また、機関士や機関助士が交代するための停車時間がもったいないということで、走行中に交代することになりました。そこで、この水槽車の横に設けられた簡易通路を通り、さらに炭水車によじ登って石炭の上を歩き、機関室とのあいだを行き来していたという記録も残っています。このほかにも、急勾配区間で後押しする補機を走行中に切り離すなど、様々な工夫が“超特急”の運転を可能にしていたのです。
以降、これら以外にも愛称を付けた列車がいくつか登場したものの、太平洋戦争が激化するにつれて優等列車自体が徐々に減っていきます。「富士」「櫻」「燕」も、1944(昭和19)年までに運行を中止。愛称付きの列車は、私鉄の一部に残るのみとなりました。
やがて戦争が終わり、鉄道輸送が盛り返すと、列車に愛称を付けようという動きが再び起こります。1949(昭和24)年、東京~大阪間で復活した特急列車が「へいわ」と名付けられたのに続き、「銀河」「はと」などが次々と登場。翌1950(昭和25)年からは、原則として特急や急行列車はすべてに愛称を付けることになりました。最盛期には、国鉄だけでなんと350種類以上の愛称があったといいますから驚きです。
その後、優等列車の指定席管理がコンピューターで行われるようになると、管理のしやすさなどを目指して愛称の統合が進みます。また、新幹線の開業や運行系統の整理もあって、在来線の優等列車は運行本数自体が次第に減少。『JTB時刻表』2018年5月号によると、現在JRで優等列車に付けられている愛称は、新幹線で20種類、在来線特急で約100種類(いずれも一部の臨時列車を含む)となっています。
じつは盗難対策ではないか?と思ってみたり。
撮り鉄ならぬ盗り鉄らはなにがなんでも盗もうとする。
鉄道好きと言う割りに車両破壊してでも盗む。
だったら無い方がいいと言う判断をする事業者もあるようです。
ほんで捕り鉄ですか?
津和野駅でSLやまぐち号を降りた後に機関車を転回させる場所でを見に行ったら保安係員みたいな人がピリピリしてたっけかな
因みにアタシですが、何ら危険でも無い遠くから撮っていただけで、お前等呼ばわりされたもんで少しだけ抗議しましたが
相も変わらず一部の無法者の悪行で一括こちらまで悪者扱いされるザマは嘆かわしいかぎりですよ
て言うか、こういう奴の頭の中って列車の写真撮ってるだけで全てが鉄道好きだと勘違いする仕切りが無いんかね?
何か?都会の痴漢対策と同じ頭の仕切りの無さで頭の中に仕切りが無いから津波でも常駐してるんやないでしょうかね?
そうなると、新製された特急車輌にはしっかり愛称幕がついているJR北海道は結構すごいんじゃなかろうか…?
解体されたキハ285系にも愛称幕はついていたし、まだまだ北の愛称幕は廃れなさそうねw
愛称幕が廃れる前に会社そもそもが廃れるは!とか言われそうだけどね…w
勿論ヘッドマークは格好いいですが、EF65の無印銀河にトワイライトの電源車なんて意外と良かったかな
あれ仕事でも京都観光でも利用させてもらいましたが消えてしまいました。
一度だけですが66に釜が代わった後のあさかぜで65のあさかぜに乗ったことあるし(ヘッドマーク無し)
これまた機関車側の巻き取り式列車名が瀬戸だったり回してましたが、楽しい時代でした。
線区ごとにデザインやカラーリングが異なる車両が導入され更にその線区では基本1列車しか設定されないケースが多くなったからなぁ(特に西日本)
ちなみに盗難の件は当時深刻な問題でサボや民鉄の行先表示板とかも盗まれるのでそれまでは乗務員控室の外に並べて置いていたのを止めたりとかしていた。
TVや新聞でも報道されていた事案なんでそこそこ年季の入っている鉄オタなら知ってるんじゃないか?