「経由地」で差をつける夜行バス 都市間連絡、遊園地や空港直結…すべて担う路線も

夜行バスには、たとえば東京と大阪の1拠点間を直結するものもあれば、終端の都市内でこまめに停車したり、周辺の複数都市も経由したりするものも。現在運行されている夜行バスの発着地や経由地を細かく見ていくと、運行形態の傾向やパターンが見えてきます。

最近の傾向は「ノンストップ」から「複数都市経由」へ

 かつての夜行バスは、都市間をノンストップで結ぶ路線が主流でした。1969(昭和44)年に運行を開始した「ドリーム号」(国鉄→JRバス)もそうでしたし、バブル期に多く開設された路線もおおむね同様です。ところが、2000年代に入ると、複数の都市を経由する路線や、自宅あるいは目的とする場所の近くで乗下車できる路線が増えてきます。

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南海バスの「大阪~秋葉原・成田空港・銚子線」。関西と東京の都市間輸送、成田空港との連絡、千葉県東部の輸送と複合的な役割を担う(須田浩司撮影)。

 理由は複数考えられますが、ひとつには、かつての「高速ツアーバス」の登場があります。それまで、電話予約や窓口での直接購入、旅行代理店への申し込みが主流であった夜行バスの乗車券購入が、運賃比較サイトや総合予約サイトが普及しインターネットによる予約・購入が主流となり、これが結果として夜行バス(高速バス)の市場拡大につながりました。一方で各運行事業者は、座席や車内サービスなどで付加価値を高めるなど、個性(ブランド化)が求められるように。停車停留所を増やして利便性を高めるのもその一環でした。

 そして、もうひとつの理由として、運行の効率化が挙げられます。「高速ツアーバス」が台頭していった一方、従来から運行していた一部の路線で採算割れする傾向が見られるようになりました。そこで、近隣の路線と統合して再編することで、複数の都市に停車するようにしたのです。この流れで大規模な再編を実施した例こそ、前出のJRバス「ドリーム号」です。それまでの方面別の便設定から車両グレード別の便設定に変更したうえで、「京都経由大阪行き」や「大阪経由神戸行き」など、複数都市を経由する便を増やしました。

 このほか、近隣の路線と統合し再編した例としては、衛星都市発着路線(八王子~大阪)を吸収した新宿・八王子~京都・大阪線「ツインクル号」(西東京バス/近鉄バス)や、大阪~首都圏の複数路線を1路線に統合した大阪~渋谷・新宿・池袋線(京王バス東/阪急観光バス)、近隣路線の廃止で吸収した新宿・横浜~高松・丸亀線「ハローブリッジ号」(西東京バス/四国高速バス)などが挙げられるでしょう。

 これら再編による停留所の追加は、運行台数の削減など効率化につながる一方で、所要時間が延びてしまい、結果として運転手の拘束時間も延びてしまうというデメリットも。適切な停留所設定と所要時間とのバランスが求められます。

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コメント

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4件のコメント

  1. 事例にない例もありまして、
    東京特急ニュースター号のように布施や王子のような意味不明な終着地の場合、
    実はそこが営業所付近という場合も。
    一部の路線では●●車庫前とはっきり言い切ってる例もありますが。

    それに類するかたちで微妙に異なるのが、
    京都びわこドリーム号。
    元々は近江と西武、近江と京急。の2路線。
    近江と京急撤退で路線廃止…とならず
    統合して更に共同運行を西日本JRに変更。
    更についでに京都駅発着(西Jの営業所付近でもある)した事例なんかも。
    この事を知らないと何で京都発着で滋賀県湖東地域に細かく停車?と。

    あとはJR東海と四国のように統廃合と事のついでにワンマン化(徳島で運転士交代)した事例もありますね、

  2. バナナの叩き売り認可と、持ってけ!泥棒認可でドライバーさんも大変ですね
    この業界も車を所有しない事業主に振り回されてると言うか?
    長野オリンピック当時には長野ナンバーの早稲田や葛西営業所の都バスとか現地で走ってましたけど、
    それらを都心から長野に回送したりす変更登録する手間なんて今話題のボランティアではないでしょうが?どんだけ何処にケツを持たせるか?くらいの感覚じゃなきゃ申告する方も受理するほうも暴走して路線なんか増えやしませんよね

    • 長野オリンピックの時は、
      新車→長野で初度登録→改めて都営で登録(書換)
      だったはず。

      大型車の場合は製造工場から自力回送なので移動費は陸送費と思えば、
      騒ぐほどの差はないかと。

      必要なのは長野→都内の登録変更代が主なので、
      国家上げてての行事ていうのと、
      タダではないけどよくある話。の範囲内。
      例えば都営でも臨海(品川ナンバー)→杉並(杉並ナンバー)なんかもありますしね。

    • パラの時は車椅子対応で折り畳み式中ドアのノンステのスロープ付が各々支店から出陣してたような?
      三菱が例の一件で転ける前は都バスの支店単位でメーカーも分けてたようですけど、メーカー四つ来てましたね。
      日野車も横浜で、いすず車は栃木(現Jバス栃木)で単独で製造してた頃なので、いすず車は江東だったかな?
      確かに車庫からの回送手配も各メーカーや支店手配じゃなくて一社代表だったような?
      上信越道で2回ほど遭遇しましたよ、当時は回送でも高速走らない条件は備考にはなかったかもしれませんね。北海道なら旅館送迎で組合で横浜市営の片文字消した塗装まんまで使ってるのも会ったし
      何と言うか器も乏しく都会に甘く地方に厳しいとでも言いましょうか?羨ましいくらいですよ