「経由地」で差をつける夜行バス 都市間連絡、遊園地や空港直結…すべて担う路線も
都市間連絡、空港直結、地方都市連絡…すべて担う路線も
大都市と地方都市を結ぶ路線では、地元の要請で停留所が追加されたり、路線自体が新設されたりするケースもあります。西武観光バスと三重交通が運行する「大宮・池袋・新宿・横浜~南紀勝浦線」は、かつて運行されていた寝台特急列車「紀伊」(東京~紀伊勝浦)の廃止で東京への直通交通機関がなくなった三重県南部および和歌山県新宮地区からの要望を受けて開設されたといわれています。これらの街では停留所が細かく設定されており、寝台列車では実現できなかった同路線の特長のひとつとなっています。
東京~八戸・七戸線「シリウス号」(国際興業/十和田観光電鉄)では、2013(平成25)年7月に沿線自治体からの要請で、岩手県軽米町の「軽米インター」バス停が追加新設されました。既存のバス停や施設を利用していますが、近くには利用者専用の駐車場も完備されており、マイカー利用者にも配慮しています。
そして、テーマパークへ乗り入れる夜行バスも増えています。たとえば東京ディズニーリゾート(TDR)には、北は青森から西は四国高知まで、数多くの夜行バスが乗り入れていますが、そのはしりといえば、やはり地元を営業エリアとする京成グループなのではないでしょうか。京成グループでは現在、首都圏と仙台、名古屋、奈良、京都、大阪・神戸、和歌山に6路線の夜行バスを運行、このうち仙台を除く5路線がTDRに乗り入れており、同施設へのアクセス路線として重宝されています。
ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)では、一時期は乗り入れ路線が減少していましたが、施設の人気回復にともない再び乗り入れ路線数が増加、特に近鉄バスや南海バスなどの在阪事業者が乗り入れ路線を増やしています。現在は、北は仙台から西は福岡・佐賀まで、各方面から夜行バスが運行されています。
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高速バスの重要な乗り入れ拠点としては、空港も挙げられます。なかには、遠方から直接乗り入れる夜行バスも。たとえば成田空港~仙台間を乗り換えなしで移動できる「ポーラスター号」(成田空港交通)が挙げられますが、このバスは2018年3月には仙台から松島海岸駅まで延伸され、空港から観光地へのアクセスも容易になりました。
空港に乗り入れる夜行バスのなかでも、南海バスと千葉交通が運行する「大阪・京都~秋葉原・成田空港・銚子線」はユニークな存在。大阪側の始発地はUSJで、大阪・京都~東京間の都市間輸送、関西から成田空港へ直通する空港リムジンバスとしての役割、さらには関西~千葉県東部間の直行便といった複数の役割を担い、東京都内で早朝から行動したい客層のニーズと、飛行機利用者のニーズを上手く取り込んでいます。一方、西鉄高速バスと宮崎交通が曜日限定で運行する「福岡~延岡宮崎夜行線」のように、福岡行きのみ福岡空港国際線ターミナルに停車するといった路線もあります。
事例にない例もありまして、
東京特急ニュースター号のように布施や王子のような意味不明な終着地の場合、
実はそこが営業所付近という場合も。
一部の路線では●●車庫前とはっきり言い切ってる例もありますが。
それに類するかたちで微妙に異なるのが、
京都びわこドリーム号。
元々は近江と西武、近江と京急。の2路線。
近江と京急撤退で路線廃止…とならず
統合して更に共同運行を西日本JRに変更。
更についでに京都駅発着(西Jの営業所付近でもある)した事例なんかも。
この事を知らないと何で京都発着で滋賀県湖東地域に細かく停車?と。
あとはJR東海と四国のように統廃合と事のついでにワンマン化(徳島で運転士交代)した事例もありますね、
バナナの叩き売り認可と、持ってけ!泥棒認可でドライバーさんも大変ですね
この業界も車を所有しない事業主に振り回されてると言うか?
長野オリンピック当時には長野ナンバーの早稲田や葛西営業所の都バスとか現地で走ってましたけど、
それらを都心から長野に回送したりす変更登録する手間なんて今話題のボランティアではないでしょうが?どんだけ何処にケツを持たせるか?くらいの感覚じゃなきゃ申告する方も受理するほうも暴走して路線なんか増えやしませんよね
長野オリンピックの時は、
新車→長野で初度登録→改めて都営で登録(書換)
だったはず。
大型車の場合は製造工場から自力回送なので移動費は陸送費と思えば、
騒ぐほどの差はないかと。
必要なのは長野→都内の登録変更代が主なので、
国家上げてての行事ていうのと、
タダではないけどよくある話。の範囲内。
例えば都営でも臨海(品川ナンバー)→杉並(杉並ナンバー)なんかもありますしね。
パラの時は車椅子対応で折り畳み式中ドアのノンステのスロープ付が各々支店から出陣してたような?
三菱が例の一件で転ける前は都バスの支店単位でメーカーも分けてたようですけど、メーカー四つ来てましたね。
日野車も横浜で、いすず車は栃木(現Jバス栃木)で単独で製造してた頃なので、いすず車は江東だったかな?
確かに車庫からの回送手配も各メーカーや支店手配じゃなくて一社代表だったような?
上信越道で2回ほど遭遇しましたよ、当時は回送でも高速走らない条件は備考にはなかったかもしれませんね。北海道なら旅館送迎で組合で横浜市営の片文字消した塗装まんまで使ってるのも会ったし
何と言うか器も乏しく都会に甘く地方に厳しいとでも言いましょうか?羨ましいくらいですよ