海外で緊急事態、日本人どう保護? 自衛隊の重要任務「邦人救出」 訓練にC-2初参加

これまでの輸送実績と変革

 1997(平成9)年、カンボジアで武力衝突が起き、同国に取り残された邦人を助けるため、防衛庁(当時)・自衛隊は外務大臣の要請に基づきC-130輸送機をタイへと派遣しました。これが自衛隊に対し、「邦人輸送」を命じた初のケースとなりました。幸いなことに、現地が沈静化したため、実際に「邦人輸送」は行いませんでした。

 続いて、1998(平成10)年にインドネシアで暴動が発生したため、C-130輸送機をシンガポールへと派遣しました。こちらも実際に邦人を輸送することなく事態は収まりました。

 2003(平成15)年よりイラク派遣が開始され、自衛隊が宿営地を設けたサマワには多くの報道陣が詰めかけました。2004(平成16)年4月、宿営地のそばに迫撃砲弾が落下。さらに日本人3名が武装勢力に拉致される事件が発生しました。これを受けて10名の記者をイラクからクウェートまで輸送し避難させました。これが初の「邦人輸送」となりました。

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C-2輸送機から降機する陸上総隊中央即応連隊の隊員たち。自衛隊の海外派遣の際、先遣隊として真っ先に派遣される部隊(菊池雅之撮影)。

 2013年、日本を震撼させる事件がアフリカのアルジェリアで発生します。同国の石油プラントが武装集団に襲撃され、不幸にも現地で働く日本人が巻き込まれました。残念ながら、10人が殺害されるという最悪な結果となりました。日本政府は、政府専用機を派遣し、7名の生存者とご遺体を日本へと輸送しました。

 この事件まで、邦人輸送に用いられる手段は、航空自衛隊の輸送機か海上自衛隊の護衛艦とされてきました。しかし、武装集団に包囲されたような場所から、民間人が安全な場所まで自力で脱出は不可能であることから、新たに陸上自衛隊の車両を用いた陸上輸送が加えられることになりました。

 さらに在外邦人の生命と財産を守るため、法整備も進みます。2015年9月19日、「平和安全法制」が国会で可決されました。これを受けて、「在外邦人等輸送」は、「在外邦人等保護措置」へと生まれ変わります。邦人輸送をより安全確実なものとするため、輸送だけでなく、武器を使用しての警護や救出も認められました。より安全に邦人の生命と財産を守ることができるようになったのです。

 これにともない、防衛省は、英語表記も「TJNO」から「RJNO」へと呼び方を変えました。Rescue of Japanese Nationals Overseasの頭文字を取ったものです。大きく変わったのは、やはり「Rescue(レスキュー)」という単語に変わった点でしょう。報道でも以降、「邦人輸送」ではなく、「邦人救出」と呼ぶことになります。

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コメント

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2件のコメント

  1. C-2が展開できるために車両輸送が迅速になった。
    今まではC-130だったから給油と巡航速度が遅いため展開時間が数倍かかった。
    人員はKC-767でも行けたが戦術輸送機の展開スピードは初動に大きな力。

  2. C-2の短距離離着陸や不整地離着陸の性能ってどんなだろ?
    C-130が使われてたのは、そこら辺があったと思うのだけど。ヤバい地域だと飛行場なんか真っ先に狙われそう。滑走路が破壊されて使える長さ短かったりとか。