戦車と対戦車兵器の100年 人はいかに戦車装甲へ挑み、またこれを跳ね返してきたのか(写真12枚)

戦車100年の歴史はまた、戦車装甲と対戦車兵器のいたちごっこが繰り返された100年間でもありました。その歴史を解説します。

戦車と対戦車兵器の、シーソーゲームの歴史

 戦車が戦場に登場したのは、今から約100年前の1916(大正5)年。第一次世界大戦の「ソンムの戦い」でのことです。塹壕戦に業を煮やしたイギリス軍が、兵士を乗せて塹壕を超えることができる「陸の戦艦」をつくろうと思ったことがその始まりでした。塹壕のなかから撃ち合いをするのが戦争だった時代、突然現れた鉄の塊に、兵士たちは驚いたことでしょう。しかし、すぐさまそれに対抗する術を考えだしていきます。こうして、「戦車」対「対戦車兵器(砲)」の歴史は始まりました。

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増加装甲や赤外線遮断用偽装網、ミサイルや遠隔操作式IED(即席爆弾)に対するジャミングアンテナを付けた「チャレンジャー2」戦車(月刊PAZNZER編集部撮影)。

ぶつけて燃やせ! 火炎瓶と溶接装甲

 最初に考え出されたのが、ガラス瓶のなかにガソリンや灯油を入れて投げつける、いわゆる火炎瓶です。これを戦車の扉の隙間や、エンジンなどに投げつけて戦車を燃やすというものでした。もっとも原始的な手段ですが、巨大なエンジンを搭載した戦車はうまく当たれば、ものすごい勢いで炎上しました。同様にカバンにダイナマイトを詰め込んで投げつけるカバン爆弾も使用されました。

 当時の戦車は装甲板をリベットやボルトで留めただけのものでしたから、攻撃で緩んだり外れたりすることも多くありました。また、衝撃ではじけ飛んだボルト自身が戦車内で暴れまわり、車内の人間を傷つけることも多かったといいます。こうした問題を解決するために採用されたのが溶接接合でした。溶接により戦車の強度は格段に上がり、数多くの国で採用されるようになりました。

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