御殿場線に残る「東海道本線」の歴史 単線の脇で複線時代の痕跡を探す(写真13枚)
複線時代の施設が多数残る
山北駅の沼津寄りには、線路の掘割を挟んで約130本のソメイヨシノが植えられ、毎年春になると桜のトンネルが現れます。その並木道を過ぎ、県道76号に入って酒匂川(さかわがわ)の左岸に出ると、右手に御殿場線の小さな鉄橋が現れました。箱根第1号トンネルと箱根第2号トンネルに挟まれた50mほどの区間で、現在の線路の手前にはもうひとつ、いまは使われなくなったトンネルと鉄橋が残っています。
現在の御殿場線は、東海道本線時代の1901(明治34)年までに複線化されました。御殿場線となった後もしばらくは複線でしたが、戦時中の1943(昭和18)年に片側の線路が撤去されて単線に。これにより不要となったレールは、ほかの路線の建設などに使われています。このとき撤去されたのは旧上り線で、その後は旧下り線を上下の列車が走っていましたが、1968(昭和43)年に完成した電化工事では上り線を復活させ、線路を旧下り線から移設しました。いまは使われていないトンネルと鉄橋は、このとき廃止されたものです。
鉄橋の前から県道を600mほど進むと、左手に箱根第2号トンネルの御殿場寄りの坑口が現れ、その上に赤い鳥居が見えます。あれは「線守稲荷神社」。「線路を守る」という意味の名前が付けられた神社には、こんな伝説があります。
明治時代、御殿場線のトンネル工事によってキツネの巣が壊され、人々はキツネの仕返しを恐れていました。やがて鉄道が開通すると、大きな置き石や赤いカンテラを振る人、髪を振り乱した女の人といった不思議な幻が、列車から何度も目撃されたといいます。
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