御殿場線に残る「東海道本線」の歴史 単線の脇で複線時代の痕跡を探す(写真13枚)

48年ぶりに動き出した御殿場線の蒸気機関車

 ところで、山北~御殿場間は25パーミル(1000m進むごとに25mの高低差)の急勾配が連続する、通称「山北越え」の区間。東海道本線時代からの難所で、1943(昭和18)年までは山北駅の構内に峠越えの補助機関車が待機する車庫(山北機関区)がありました。

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山北鉄道公園で保存されているD52形70号機(静態保存のころ)。昔から屋根が設けられ、計器類がアクリル板で保護されるなど保存状態が良かった(2009年4月、栗原 景撮影)。
富士岡駅の旧ホーム跡は「富士見台」として整備されている。ホーム跡は平たんだが、左の御殿場線は25パーミルの急勾配で沼津へ向かって下っていく(2009年4月、栗原 景撮影)。
富士見台からの富士山の眺め。手前に見えるのは新東名高速道路で、この頃はまだ建設中だった(2009年4月、栗原 景撮影)。

 現在、その跡地は山北鉄道公園となり、D52形蒸気機関車の70号機が保存されています。1944(昭和19)年に製造され、1951(昭和26)年から1968(昭和43)年まで御殿場線で活躍した、国内最大級の蒸気機関車です。

 70号機は引退後、山北駅で静態保存されていました。しかし、地元の山北町が国から支給される地方創生交付金を活用しての動態保存展示を発案。2016年春、山北町と国鉄OBを中心とした有志によって運転用の線路が12m敷かれ、圧縮空気を使って動かす動態保存が実現しました。現在はイベント開催時などに運行されており、将来はレールを120mに延長する構想もあります。

 山北以外にも、御殿場線には急勾配に挑んだ名残がいくつかあります。御殿場駅のふたつ先にある富士岡駅も25パーミルの急勾配区間にあり、1968(昭和43)年の電化完成までは平たんな引き上げ線に乗り場を設けたスイッチバック方式の駅でした。旧ホームの跡地は富士山を見晴らす展望台として開放されており、富士山の絶景と御殿場線の急勾配を同時に鑑賞することができます。

 都心から手軽に訪れることができ、鉄道遺産が数多く残る御殿場線。これからの季節、紅葉を楽しみながら鉄道の歴史を訪ねる旅に出かけてみてはいかがでしょうか。

【了】

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