全線廃止から25年「都会の廃線」南海天王寺支線はいま わずかに残る痕跡をたどる(写真35枚)

空き地の脇で浮かび上がる路盤

 この空き地が途切れたところで、台形の黒ずんだコンクリートが姿を現しました。その形から考えて、天王寺支線の線路が敷かれていた路盤の断面と思われます。その周囲は白っぽい色をした新しいコンクリートで固められており、黒ずんだコンクリートが浮かび上がっているように見えたのが印象的でした。

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天王寺支線の路盤とおぼしき黒ずんだコンクリート壁(2018年11月24日、草町義和撮影)。

 空き地の先は公園に生まれ変わっていました。線路の跡地を使っているため細長いですが、天王寺支線は複線だったため公園の幅も比較的広くなっています。沿線の住民らしき老人が、あちこちで散歩を楽しんでいる様子がうかがえました。

 この公園を歩いて阪神高速14号松原線をくぐった先に飛田本通駅がありましたが、ホームなどの遺構はどこにも見えません。その先の堺筋を越えると、赤い色をした阪堺電気軌道阪堺線の橋りょうが見えてきました。天王寺支線はここで阪堺線の下をくぐっていたのです。くぐった先には今池町駅があり、阪堺線の今池停留場との連絡が図られていました。

 よく見ると、この橋りょうの端には2004(平成16)年に行われた塗装のデータが書き込まれていて、「天王寺線跨線橋」という橋りょう名も記されていました。「支」が入っていないのは少し気になりますが、かつてこの下に天王寺支線の線路があったことを、いまに伝えているのです。

 この先、天王寺支線の線路跡は高い柵で覆われていて、脇の道を歩いているうちに南海本線の高架橋が見えてきました。天王寺駅から歩き出して、わずか1時間弱。写真を撮らずに歩けば、もっと短い時間で済んだことでしょう。都会に残る廃線跡を散策はすぐに終わりました。

 それにしても不思議なのは、ビルや民家が密集している大阪の市街地を通っていたということ。沿線人口が少ないローカル線ではないにもかかわらず、なぜ天王寺支線は廃止されたのでしょうか。

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