閉山から45年の「軍艦島」に上陸 崩落続く圧倒的鉄筋コンクリート建築物群のいま

「軍艦島」は、その一部が世界遺産の構成資産に選ばれたこともあり、いまでこそ広く知られていますが、かつては知る人ぞ知る、廃墟マニア垂涎の地でした。手軽に上陸できるようになったいま、ツアー客として何が見られるのでしょうか。

知る人ぞ知る島もいまや観光地に

「軍艦島」こと端島、閉山から45年の姿(34秒)。

 端島(はしま)は、長崎港から南西約18kmに位置する無人島です。南北に約480m、東西に約160m、周囲は約1200mと小さな島ですが、日本国内でインターネットの常時接続が広く普及し始めた2000(平成12)年ごろ、ネット界隈の片隅でちょっとした話題になりました。

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「軍艦島」こと端島。島の所有権は2019年現在、長崎市が持っている(2019年2月26日、喜多 雅撮影)。

 定期航路はなく、船舶免許のない一般人が渡ろうとする場合、なんらかの方法で船をチャーターするしかなかった当時、この島に上陸した体験記や写真がネット上にアップされると、そのあまりに特異な光景が注目を集め、端島の通称「軍艦島」の名はそれまでよりも広く知れ渡っていきます。かつて公共広告機構(現・ACジャパン)のテレビCMに登場し、全国にその姿が放映されたこともありましたが、それから20年近くが経過していました。

「軍艦島」こと端島は、海底炭鉱の島です。その姿が旧日本海軍の軍艦「土佐」に似ていることから、軍艦島と呼ばれるようになったといいます。

 この島で石炭が見つかったのは1810年ごろとのことですから、江戸後期、化政文化のころになります。当時から佐賀藩の漁師たちが、漁業のかたわら小規模な採炭をしていたそうですが、1890(明治23)年、三菱社(のちの三菱合資会社)が島の所有権を獲得し、本格的な海底炭鉱としての操業が始まりました。最盛期には5300人の住民が暮らしましたが、1960年代、主要エネルギーが石炭から石油へ移行すると、出炭量も人口も減少。そして1974(昭和49)年に閉山し無人島となり、2001(平成13)年に島のある高島町(当時)へ無償譲渡され、のちに「平成の大合併」で長崎市が島の所有権を継承し、現在に至ります。

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長崎水辺の森公園より女神大橋方向を望む(2019年2月26日、喜多 雅撮影)。
1962年撮影、端島が最盛期のころ(画像:国土地理院航空写真)。
2010年撮影、白く見えるのが見学用通路(画像:国土地理院航空写真)。

 2015年には「明治日本の産業革命遺産 製鉄・製鋼、造船、石炭産業」の構成資産のひとつとして、明治期に造られた護岸壁部分と海底炭鉱部分が世界遺産に登録されました。2019年3月現在、島は観光客用のコースが整備され、数社が見学ツアーの船を運航しており、気象条件などはあるものの、行こうと思えばさほど難しくなく行ける観光地になっています。

 というわけで、行ってきました。

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