閉山から45年の「軍艦島」に上陸 崩落続く圧倒的鉄筋コンクリート建築物群のいま
軍艦島の「軍艦」は、実は未完成艦
長崎港の桟橋を出発したツアー船は、三菱重工の長崎造船所を右手に眺めつつ長崎湾を進みます。戦艦「武蔵」を建造したというドックも、そう遠くなく眺めることができます。内陸部に深く切り込んだ湾内は波も穏やかで、さすが大昔から続く天然の良港です。
湾の出口にかかる女神大橋をくぐると、徐々に左右が開けてきました。数多の船を見守り続ける「岬のマリア像」を右手に、三菱重工 長崎造船所の香焼工場にそびえるクレーンなどを左手に眺めながら船は加速し、一路、南西方向の軍艦島を目指して疾走。先のマリア像もそうですが、途中、伊王島に建つ馬込教会のシンボリックな白いゴシック建築が目に入り、カトリック信仰が深く根付いた土地柄であることを改めて思い起こさせます。
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港を出発して30分ばかり、やがて海原にポツンと、軍艦島の独特のシルエットが見えてきました。「軍艦『土佐』に似ているから軍艦島」といわれますが、そのように見える方向は実は決まっていて、島の西側から眺めた姿をいうのだそうです。長崎港から島に向かった場合、おおむね桟橋のある東側からのアプローチになると思われますが、その反対側に回り込んで、初めて軍艦島の「軍艦」たるゆえんを拝めるというわけです。
ちなみに軍艦「土佐」とは、1922(大正11)年に締結されたワシントン海軍軍縮条約により建造中止となった旧日本海軍の戦艦で、「長門」や「陸奥」の改良型となる予定でした。海軍は未完成のままこれを受け取り、砲弾の実験などに使用したのち自沈処分するのですが、「軍艦島」はその、「土佐」の未完成状態のシルエットに似ているということで広まった愛称なのだそうです。ただし、当時の軍艦島に高層建築などはまだそれほど建てられていないため、現在のシルエットがそのまま「土佐」に似ているというわけではないようです。
ツアー船はぐるっと島を1周したのち、桟橋へ着きました。いよいよ上陸です。
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