高速バス「大都市間路線」が「ドル箱」になるまで 東京~大阪・名古屋・仙台 遅れた開拓

高い参入障壁、都市のバス事業者ならではの「弱み」

 1980年代半ば、起終点側のバス事業者による「共同運行」制が認められると、私鉄系事業者も大都市間路線への参入を図りましたが、越えなければならない“壁”がありました。当時は「マルチ・トラック」(同一区間で複数事業者が競合する状態)が認められず、国鉄バス(現・JRバス各社)らの先行路線と同一区間には参入できなかったのです。

 首都圏で高速バス最大手格だった京王帝都電鉄(現・京王バス東など)は、名古屋や京阪神で同じ立場にある名古屋鉄道(現・名鉄バス)や阪急バスとの共同運行が実現せず、名古屋線はいったん断念(規制緩和後の2002年に開業)し、大阪線は近畿日本鉄道(現・近鉄バス)と共同で新宿~上本町・あべの橋間を開業します。JRバスが大阪駅(梅田)発着であったため、上本町・あべの橋発着であれば同一区間ではないとして新設を認められました。

 同様に、郊外の衛星都市や観光施設(千葉、東京ディズニーランド、大宮、立川、八王子、川崎、横浜および京都、枚方、奈良、和歌山、神戸など)を起終点として、私鉄系事業者が路線を増やす動きが活発化します。市場規模が大きい首都圏~京阪神間ゆえに、一時は相当な路線数となりました。

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1989年に運行を開始した近鉄バスの東京~大阪線「ツィンクル号」の格安便「カジュアル・ツィンクル号」(2018年12月、中島洋平撮影)。

 しかし、地方部の乗合バス事業者が、不動産開発や小売など幅広く生活関連産業を展開し地元で大きな販売力を持つのに比べると、大都市の事業者は、細分化された自社のエリア内では強いものの、首都圏全体、京阪神全体での販売力は限定的です。また、大手私鉄の一部門や子会社が中心で、バス事業者の存在感も大きくありません。大都市の消費者には高速バスの認知が進まず、市場開拓の余地(潜在需要)は十分に残されたままでした。

 その状況を変えるきっかけとなったのが、2002(平成14)年の道路運送法改正により容認された「高速ツアーバス」の登場です。法的には旅行業法に基づく募集型企画旅行という形態ながら、コースの中身は都市間移動だけ、というもの。中小旅行会社が中小貸切バス事業者をチャーターすれば、運行コストを低く抑えることが可能なうえ、何事にも国の許認可が必要な従来の高速バスに比べ、自由に商品を設定することもできました。ただし、当初はニッチ商品の域を出ませんでした。

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コメント

1件のコメント

  1. やはり国鉄バスは美しいな、今のような灰色認可に便乗した運行とは違い明確に枠組みを分けて一定の厳しい規準は設けていたし、車にしても専用車と言うか?市販車では御目にかかれない水平対向12気筒とか、都心の町工場でも専用部品の製造に携わった工場もあったのではないかな?
    しかし都心間のバスの開拓が容易でなかった話は意外だったな