【「平成」と乗りもの】廃止続いたローカル線 令和は「新しい交通体系」考える時代に? 見えた光
平成の初頭には「希望」も見えていたローカル線。しかしその時代を通じ、多くのローカル線が廃止されました。さまざまな施策が行われているものの、問題解決の決定打はまだ見えません。しかし令和時代を迎えるなか、新しい動きも出てきました。
「明るい未来」もあった平成初期のローカル線
平成の30年間で、多くのローカル線が廃止されました。1989(平成元)年1月から2019年4月までに廃止されたローカル線(貨物列車しか走らない路線や、ケーブルカーなど特殊な鉄道を除く)の総延長は、およそ1600km。新幹線で東京駅から鹿児島中央駅までの距離(1325.9km)よりも長くなります。
しかし平成の初頭は、ローカル線には明るい空気もありました。
第三セクターの三陸鉄道(岩手県)は、国鉄ローカル線(当時工事中だった区間を含む)を引き継ぐ形で1984(昭和59)年に開業。想定では初年度、約9800万円の赤字になる見込みでしたが、ふたを開けてみれば約2600万円の黒字でした。
国鉄時代より運転本数を多くして利用者を増やし、さらに車掌が乗らないワンマン運転を導入するなどしてコストを削減。日本鉄道建設公団(国鉄新線の建設組織)から線路を無償で借りられたほか、国から1kmあたり3000万円(工事中だった区間は1km1000万円)の「転換交付金」が拠出されたことも、黒字に寄与したといえます。
その後も三陸鉄道は黒字経営を続け、1990(平成2)年度には累積赤字も解消するなど、「第三セクター鉄道の優等生」と呼ばれました。この三陸鉄道の事例をきっかけのひとつとして、各地で国鉄ローカル線の第三セクター化が相次ぐことになり、1980年代後半に廃止対象になった国鉄のローカル線83線(3157.2km)のうち、38線(1310.7km)が第三セクター(一部は私鉄)に引き継がれています。
バブル絶頂だった平成初頭ではあまり想像もつかなかった少子高齢化と人手不足。。。
令和初頭はコストがかからない無人運転なんかが主体になっていくのだろうか。