【「平成」と乗りもの】変化した「乗りものと女性」の関係 増えた女性現場職員、その背景といま
かつて「男性の職場」だった乗り物の現場で、いまや大勢の女性職員が働いています。その道は平成の前後で開かれ、2000年ごろから本格化。いま、各社が女性の活躍を積極的に推進させるに至ったのには、どのような経緯があるのでしょうか。
平成の前後で、女性が「現場」へ
現在、鉄道業界では運転士や車掌、駅係員などの仕事に多くの女性が従事しています。しかし昭和の時代、こうした現場は基本的に「男性の職場」でした。鉄道やバスといった乗り物の仕事における女性の活躍は、平成の30年間で広がったものです。
乗り物において女性が活躍する道が開けたのには、ふたつの大きな転機があります。ひとつは1985(昭和60)年、「男女雇用機会均等法」の制定(翌年4月施行)です。
これを受け、東急電鉄では1988(昭和63)年度から女性総合職の採用を開始。同社の労務企画グループ統括部長の下田雄一郎さんによると、ほかの鉄道会社でも女性総合職の採用が始まったのは、おおむねこの時期からだといいます。
ただその時点では、鉄道の現場における女性の本格的な参入には至っていません。
「女性を受け入れるハード面が整っていませんでした。駅や乗務区などの職場に、女性が着替える場や宿泊所もなければ、そもそも女性用トイレもなかったのです。1993(平成5)年に現場職員の制服をリニューアルした際も、女性用の制服は作られませんでした」(東急電鉄 下田さん)。
東急電鉄の総合職は入社後、まず駅務などをひと通り経験しますが、現場の制服がなかった女性総合職は当時、東急の駅に併設された旅行代理店の女性職員が着る、首元にリボンのついた制服で駅務をこなしていたそうです。
ふたつ目の大きな転機が訪れたのは、1999(平成11)年のこと。この年、労働基準法における女性に対する深夜労働(22時から翌5時まで)の規制が撤廃されました。
「鉄道の現場は、勤務が早朝から深夜におよび、事故や悪天候時の急な対応も求められます。職員を配属するうえで、深夜勤務ができないことは大きな課題だったのです。1999(平成11)年の改正労基法の施行は、女性の現場参入を相当に後押ししたでしょう」(東急電鉄 下田さん)
これを受け、東急電鉄では2001(平成13)年度から、鉄道専門職における女性の採用を開始。女性用の制服はもちろん、マタニティ用の制服も作ったそうです。
現在、東急電鉄では鉄道の現場における女性の比率は約7%、会社全体では約16%だといいます。
うちの母親は昭和30年代、東京都交通局の職員でいわゆる都バスの車掌でした。女性用制服もあったし女性の仕事でしたよ。ワンマン化でその職業もなくなりましたが。
ひなまつりフライト、素敵な取り組みだと思いました。
航空業界は男女の活躍がずっと昔からあるものの、男性のCAや女性の機長は珍しく捉えられてしまう時代が長かったように思います。またダイバーシティの意味、外資系企業レベルで東急が理解してきてるように感じ、それも微笑ましいなと感じました。転職したいくらいです。