重装甲空母「大鳳」はなぜ魚雷1発で沈んだ? 「不沈」をうたわれた空母の一部始終
期待の重装甲空母、しかも美麗!
計画段階では前述のような検討がなされていた「大鳳」でしたが、設計段階において、要求仕様を満たそうとすると計画を大幅に上回る排水量4万トン以上になって、建造費用や期間も超過することが明らかになり、ややスペックダウンし3万トン級ということで建造が決定しました。
装甲は飛行甲板全部に施されたわけではなく、飛行甲板の前部と後部エレベーターのあいだの長さ150m、幅は中央部の航空機格納庫天井の20mぶんとされました。装甲は20mm高張力鋼の上に75mmのCNC(装甲用の鋼材のひとつ)装甲板を重ねた構造で、高度700mからの500kg爆弾を用いた急降下爆撃にも耐えられるとされました。
また爆弾だけでなく、魚雷にも耐えられる工夫を行ないます。艦底の主要部を3重底にするとともに、重油タンクと空気層および装甲を組み合わせた5枚4層防御構造が導入され、TNT換算で300kg(400kg説もあり)弾頭炸薬の魚雷に耐えられるものとされました。
もっとも、アメリカ海軍が使用していた急降下爆撃機の爆弾は545kg(1200ポンド)、MK13航空魚雷は400kgとなっており、中途半端感はぬぐえません。
飛行甲板が装甲化され艦の重心が高くなったため、格納庫を一層減らし、飛行甲板の高さを海面から約12mに抑えました。これは「大鳳」よりも小さい「飛龍」と同レベルでした。飛行甲板が波に突っ込むことを想定し、また気流の整流を計るため風洞実験も行って、日本海軍では初めて飛行甲板と艦首が一体化した「エンクローズドバウ」という形式を採用しました。艦の全長は260.6mとなり、空母「信濃」「赤城」に次ぐ巨大さながら高さは低く抑えられ、特徴的な艦首形状もあいまって、なかなかの見目麗しさです。
重装甲を見込まれて、ほかの空母の艦載機への補給用のガソリン、弾薬を搭載することも予定され、航空燃料は1000t(翔鶴型では496t)、爆弾は800kgが72発、500kg爆弾72発、250kgが288発、60kgが144発、91式航空魚雷改は48本搭載できましたが、これは「信濃」に次ぐ積載量の多さでした。この大量の「危険物」が「大鳳」の運命を決めることになります。
要するに,設計は理論的に完璧だとしても,材料などに手抜きがあれば,完璧にはならない。原発はどうなんでしょうか。
太鳳
一層減らしたのは格納庫ではない。ミリタリーブーム以前にはよく誤解されていた説明だが、この期に及んでまだ流布されるのか。断面図を観ろとしかいえない。
いやどこ?
ミッドウェー海戦の敗戦責任を空母飛行甲板の脆弱性に責任転嫁した結果です。
敗戦責任は、陸用爆弾ででも果敢に先制攻撃する指導をおこなわなかったから。
また、インド洋で失敗している爆弾魚雷の転換などを再度、敵前でやってるから。
作戦指導が悪いのであって、空母の甲板を強化してどうするの。雲竜型の早期大量建造でいいでしょ。
全くその通りですね。でも、古今東西、なかなか素直に非を認める事が出来る組織は少ない。
艦載機の着艦失敗の話は初めて聞いた。アメリカも平気で間違いを書いてるからはっきり分からないが皮肉にも換気をしようとしてファンを入れた時に出た火花だと読んだことがある
火災が主要因で雷撃は問題ではない
なんちゃってミリタリーファンの者ですが、当時の大鳳の損失は本当に惜しいと思います。
空からの攻撃に備えたら、そのウラをかかれた感じで雷撃が致命傷で撃沈されるというのは、空母信濃もそうですし、せっかくの改装で生まれた当時の日本軍には珍しい防空巡洋艦の五十鈴でさえ、雷撃により喪失してしまうという感じで、まるで不運に見舞われた太平洋戦争後期の日本軍の話しだと思いました。
空母信濃も空母大鳳も、もし生き残っていたら、今の現代の中国に対する軍事的な備えに旧式艦ながら、それなりに改装して海上自衛隊の空母となっていたかも知れないというように空想してます。(実際は例えばエレベーターが現代のジェット戦闘機に合わないはずだから無理でしょうが・・)
それ以前に米軍に鹵獲されて、水爆の的になってると思うよ。
大鳳は非常に残念なかたちで戦没しましたが、太平洋戦争末期はなぜか対空性能を強化した艦艇が戦没する傾向があり、防空巡洋艦に改装した五十鈴や同じように空母信濃があり、なんか戦争の勝運気に日本がまるで見放されたようでもありました。