整備員はなぜ飛ぼうとした? 知られざる「航空自衛隊機乗り逃げ未遂事件」の顛末
事件が隠されたワケ
逮捕されたTは「生まれ故郷のハルビンに行きたかった」「世間をあっと言わせたかった」と供述しており、仙台地検も思想的な背景は無いと判断していたことが報じられています。
さて、事件のその後です。「自衛隊機乗り逃げによる国外逃亡未遂」という、前代未聞の事件を起こしたTは懲戒免職の後に裁判に。Tの上司にあたる整備小隊長と第7飛行隊長は減給処分。第4航空団司令は進退伺を提出するなど、航空自衛隊内でおおごととなっていたにも関わらず、事件は2か月半も公にされませんでした。
その理由は何だったのでしょうか。前述した防衛庁の発表ののち、たとえば読売新聞では共産圏への計画的逃亡と見て極秘捜査が行われたと報じ、毎日新聞では国会の会期終了を待って発表したと推測しています。また、朝日新聞「天声人語」では、事件がちょうど元航空幕僚長が出馬する選挙戦中だったからではと、各紙で様々な推測が見られましたが、結局のところ真相は明らかにされないまま、いまに至ります。
事件から10年後の1972(昭和47)年9月。日本と中国の国交が回復し、両国を行き来することが可能になりました。Tは故郷のハルビンに行くことができたのでしょうか。
【了】
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