方南町駅改良の陰に西新宿&中野坂上あり 東京メトロ丸ノ内線、ダイヤ刷新の背景
方南町駅6両化で諸々の課題を解決
解決には新宿折返し列車の運転区間を延長して、西新宿駅・中野坂上駅の停車本数を増やす必要がありますが、すべての列車を荻窪行きにすると新中野以西の輸送力が過剰です。支線直通列車を増やそうにも、中野富士見町駅は構造上、本線上か車庫線に引き上げてから折り返す必要があるため限度があります。
こうした諸々の課題と、老朽化した駅の改修やバリアフリー化を一挙に解決する妙案として2012(平成24)年に発表されたのが、方南町駅の6両化でした。当初は2016年度完成予定でしたが3年延期されたため、並行して現在の設備でできる限りの増発を図ることに。2015年10月のダイヤ改正では日中の新宿行きを2本おきから4本おきに変更。2019年1月のダイヤ改正では夕ラッシュ時間帯の新宿行きを2本おきから3本おきに変更し、いよいよ今回、2019年7月のダイヤ改正で朝ラッシュなど一部時間帯を除き新宿止まりの設定が無くなったのです。
しかし疑問が残ります。なぜ方南町駅のホームだけ6両編成が入れなかったのでしょうか。そもそも方南町駅を終点とする(一見中途半端な)支線は何のために造られたのでしょうか。まず、東京メトロの前身である帝都高速度交通営団発行の『地下鉄荻窪線建設史』を紐解いて……と話を進めようとすると、丸ノ内線の話に突然出てきた「荻窪線」とはなんだとお叱りを受けてしまうかもしれません。
戦後初の地下鉄として1954(昭和29)年に開業した丸ノ内線(池袋~御茶ノ水)は、順次延伸を重ね、1959(昭和34)年に新宿駅まで開業します。その後、1961(昭和36)年から1962(昭和37)年にかけて、新宿~荻窪・方南町間が開業するのですが、一体的に運行されているにもかかわらず、開業当時、新宿以西の区間は「荻窪線」と呼ばれていました。池袋~荻窪・方南町間の名称を丸ノ内線に統一するのは1972(昭和47)年のことでした。
分かりやすい丁寧な説明でした。まだ乗ったことがないので、乗りに行きたいと思います。