海の支配者は飛行機か? WW2前夜、世界を巡ったドイツ弩級戦艦撃沈実験の衝撃とその後
「オストフリーラント」撃沈の衝撃は日本へ、そして…
アメリカ海軍の主流派にとって、(敵艦であったとはいえ)誇りの象徴でもある戦艦が、航空攻撃により沈んでしまった結果は腹立たしい事実ではありましたが、同時に無視することもできませんでした。戦艦の主砲射程の10倍もの距離を進出する飛行機によって爆弾、または魚雷を敵艦隊に投射するという思想は、「オストフリースラント」における実験後、世界中へ広まります。
特に強い影響を受けた人物のひとりに、のちに日本海軍航空本部長などを歴任し航空戦力の整備に尽力した山本五十六がいました。1922(大正11)年、山本は「オストフリースラント」攻撃実験の直前までアメリカに滞在していました。そして「戦艦対飛行機問題」という報告書において、ミッチェル少将の論文を和訳するにあたり、以下の部分に強調線を引いています。
「航空機をもってする攻撃効果は大。例えば停泊中の艦隊に対し数百の飛行機による大襲撃をもってすれば、敵戦艦我が行動半径内に存在する限り、攻撃破壊を得ること疑い無きところなり」
各国の海上航空戦力を充実させる施策は、1939(昭和14)年に勃発した第2次世界大戦において正しかったことが証明されます。1940(昭和15)年11月11日には、イギリス海軍の空母から発進したソードフィッシュ雷撃機がイタリア海軍タラント港を攻撃、戦艦1隻を撃沈し2隻を損傷させ、飛行機による「実戦での最初の戦艦撃沈」を記録しました。
そしてその翌年、1941(昭和16)年12月8日に太平洋戦争が始まると、日本海軍はパールハーバー(真珠湾)を空母艦載機によって攻撃し、九九式艦上爆撃機、九七式艦上攻撃機がアメリカ海軍戦艦8隻に損傷を与え、うち2隻を撃沈しました(のちに引き上げられた艦を含めれば、さらに2隻撃沈)。2日後の12月10日には、日本海軍の九六式陸上攻撃機、一式陸上攻撃機がマレー沖にて、航行中のイギリス海軍戦艦2隻を攻撃し、両艦とも撃沈に成功します。これは飛行機による「史上初の航行中かつ戦闘状態にある戦艦の撃沈」でした。
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