戦前にもあった新幹線計画「弾丸列車」工事の名残を東海道に訪ねてみた 2019.08.13 草町義和(鉄道ニュースサイト記者) 0 ツイート お気に入り tags: 国鉄, 山陽新幹線, 未成線, 東海道新幹線, 東海道本線, 歴史, 鉄道, 静岡鉄道 1 2 0 ツイート お気に入り 編集部おすすめ記事 東海道新幹線と東北新幹線、なぜ直通しない? 東京駅の複雑な「事情」 東海道新幹線、聞いてはいけない車内放送 「運転室に行け」? 実はすごくない初代新幹線「0系」 なぜ世界初の「すごい高速運転」実現できたのか? 「高速の雨」にも対応 新幹線のワイパーはクルマとどう違う? 新幹線の車窓に見える「727」看板のナゾ 商品みたことある? 最新記事 伊丹空港の英語名「Osaka International Airport」から変更へ…なぜ? 新しい「空港名」は GWにJR宇都宮線の一部「運休」へ 線路切替工事で 前後区間では減便あり 【最先端】「100トン」近いものを「無人・自動」で運べるトラックが登場! 新幹線も作る日本車輌製造から 【発見!日本の底力#1】世界で大活躍する日本の超巨大重機!日立建機「EX5600-7」の謎に迫る!! 道路陥没の影響が高速道路にも「東日本最大級のSA、トイレは…」下水道の使用制限でNEXCOが異例の呼びかけ コメント コメントをキャンセルコメント(必須) お名前(必須) メールアドレス(必須)※公開されません 1件のコメント ゲスト 2019/08/13 at 15:57 Reply 東京から下関までの一括開業を目指していたのかわかりませんが、開通目途は1955年だったと何かで読みました。完成していたらさぞかしスチームパンク然としたものに仕上がって、早晩全面的改修を余儀なくされていたでしょう。直流電化での高速運転ものちにイタリアが悩まされました。 現実の新幹線が三島から西へのルートを採ったのは浮島が原の地質もさることながら、津波の直撃を避けた気もします。
東京から下関までの一括開業を目指していたのかわかりませんが、開通目途は1955年だったと何かで読みました。完成していたらさぞかしスチームパンク然としたものに仕上がって、早晩全面的改修を余儀なくされていたでしょう。直流電化での高速運転ものちにイタリアが悩まされました。
現実の新幹線が三島から西へのルートを採ったのは浮島が原の地質もさることながら、津波の直撃を避けた気もします。