異様にツイてる駆逐艦「雪風」のヒミツ 旧海軍屈指の強運はいかにしてもたらされた?

運も実力の内、ホワイト職場がたぐりよせる強運

「雪風」と同じ第二水雷戦隊に所属していた駆逐艦「冬月」の乗組員が、砲術指導で「雪風」におもむいた際、艦内や部署が清潔であることに驚きます。現代では職場の安全、健康、生産性向上を図るものとして、「整理」「整頓」「清掃」「清潔」の頭文字をとった4Sという言葉を聞きますが、「雪風」はこの4Sが徹底されていたようです。この乗組員は、「雪風」艦内は他艦とどこか違う雰囲気を感じたと回想しています。

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連合軍に接収後、1947年5月26日に撮影された「雪風」の艦橋外観。艦橋屋根に人が立っておりサイズ感が分かる(画像:アメリカ海軍)。

 職場や学校のクラスにも「はつらつとした」とか「どこか空気がよどんだ」というような「空気感」があることと思いますが、艦にもそれぞれ、個性のように艦内の「空気感」というものがあるそうです。上述のように、「雪風」はいまでいう4Sが行き届き、良い空気感だったことがうかがえます。

 駆逐艦「冬月」の元士官は、「雪風」も参加した第二水雷戦隊による応急処置訓練の際、「訓練ではいつも『雪風』が群を抜いて早く正確に応急処置ができていた。日頃の訓練の成果が好運艦、強運艦を生んだのであって、単に偶然が好運艦を生んだのではないと感じた」と述べています。

  また元海軍大尉で、作家、評論家の阿川弘之氏は、歴代艦長の調査や取材から「雪風」は訓練がよく行き届いた艦であるとし、幸運艦といっても「自ら助くるものを助くといった筋の通ったものの様だ」と評価しました。

 行き届いた4Sや訓練でも好成績をキープし続けることは、艦長など幹部の上からの押し付けではなく、乗組員ひとりひとりが評価されてより奮起する「ポジティブ思考が更に成果を上げる」という、艦内の空気が大きく影響したようです。これが乗組員の練度を高め、艦としてのパフォーマンスを向上させ、戦果を挙げて生き延び、結果として「強運艦」と呼ばれるようになったのです。いまでいう「ホワイト職場」といったところでしょうか。

【写真】アナログ計器や伝声菅が並ぶ駆逐艦「雪風」のブリッジ内観

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コメント

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3件のコメント

  1.  阿川弘之氏は元海軍少尉ではなく、元海軍大尉だったと思いますが?
     雪風は単に「1965(昭和40)年12月16日に退役。そののち解体」ではなく、(日本への返還が決まっていたがその前に)座礁し修理をあきらめ退役、解体。
     その為、舵輪と錨が返還された。のでは?

  2. 寺内艦長が爆弾回避の上手い人だったのは事実のようだけど、それだけで生き残れるものでもない。最後の天一号作戦時の第一遊撃部隊の陣形図が大和ミュージアムにあるから見てみると興味深い事に気づく。ネットでも調べたら出てくるから、雪風が生き残れた理由を色々推理してください。

    • いやそこは教えてくれよ。そんなとこまで行く暇ないよ涙