「戦いは数」どう支える? M4「シャーマン」戦車、「偉大なる大量生産」の実現

偉大な戦車の生産期間はわずか3年3か月

 自衛隊も使用したM4「シャーマン」は、アメリカを象徴するような戦車です。もともとは、第2次世界大戦のヨーロッパ戦線で、ドイツ軍戦車に対抗できる性能を持つ近代戦車の必要性に直面したアメリカが、既存のM3戦車のシャシーを流用し、上モノだけ作り変えて誕生させた中戦車でした。

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短砲身75mm砲で、鋳造車体、M3中戦車と同じシャシーを持つM4A1。「シャーマン」シリーズの初期型である(2018年6月、柘植優介撮影)。

 M4「シャーマン」の木製モックアップ(実物大模型)が1941(昭和16)年5月に製作されると、同年9月には試作車が早くも完成します。この試作車で各種試験を行うと、なんと翌10月には軍にM4として制式採用され、4か月で生産ラインが作られて、1942(昭和17)年2月から大量生産がスタートしました。モックアップから量産開始まで、わずか9か月です。しかも当初から月産2000両が目標でした。

 量産準備中の1941(昭和16)年12月に、日本が真珠湾攻撃を行い、アメリカも本格的に第2次世界大戦へ参戦します。この参戦で、様々な民間企業が兵器生産に駆り出されたことで、M4「シャーマン」も従来の戦車工場だけでなく、自動車工場をはじめ、工作機械や蒸気機関車の工場など10か所で生産されることになりました。

 M4「シャーマン」の真価はここから発揮されます。当初、車体と砲塔は鋳造製で、エンジンは航空機のものを転用した星形空冷ガソリンエンジンが用いられましたが、すぐに大型トラック用のディーゼルエンジンを2基搭載したタイプの生産が始まりました。航空機用エンジンは当然、航空機製造に優先して供給されるため、戦車に回される数は航空機の需要に左右され不安定でした。そこで、大量生産するにあたりトラック用のディーゼルエンジンを用いることにしたわけです。

 その後もエンジンの供給不足を補うために、ほかの航空機用エンジンを流用したり、自動車用ガソリンエンジンを5基連結して搭載したりするなどした結果、エンジンだけで5種類もあるM4「シャーマン」の各タイプが、同時並行で各地の工場にて生産されました。この大量生産体制は、太平洋戦争終結直前の1945(昭和20)年5月に終了しましたが、M4「シャーマン」はわずか3年3か月ほどのあいだに、総計4万9234両も生産されました。1か月あたりでは約1262両になります。

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